「うわ〜、冷たい」
「本当だ。生き返るね」
木陰で膝を立てて座ったぼくは、膝頭にしゅうえいを乗せて、一緒に氷菓子を食べていた。
口の中ですっと溶ける氷と、痺れた舌に広がる甘み。
真夏に氷を食べることができるなんて、少し前のぼくには考えられないぐらいの贅沢だ。暑そうに胸元を寛げていたしゅうえいも、小さな匙で氷を口に運んでは、嬉しそうな顔をしている。
彼に全てを吐き出してから、ぼくはいままで以上に、小さな友だちがずっとずっと好きになった。
最初は彼のことを百合さんに話すつもりだったけれど、結局、ぼくは口をつぐんでいる。
人に見つかってはいけない―――
あの日、彼は確かにそう言っていた。
直接姿を見せなくても、彼の存在を知らせる行為は避けたほうがいい。そう思う半面、彼を独り占めしていたい心があったのも本当だと思う。
なによりもぼくは、彼と過ごす他愛ない一日が、本当に楽しかったのだ。だからこそ、いまから持ち出す話題は、いやおうなしにぼくの気持ちを重くした。
「じつはしゅうえいに話があって…」
氷が溶けた後の甘い水まで飲み干して、人心地ついたところで、ぼくはずっと言おうと思っていたことを切り出した。
なにかな、と振り返った彼に、つかの間ためらってから口を開く。
「あの……ぼく、実は…明日、貴陽に帰ることになったんだ…」





今朝、朝ごはんの席で、れいしん様から突然伝えられた予定。別邸に来る前に聞いた話では、貴陽に戻る日はもっとずっと後だったはずだ。
えっと驚くぼくに、百合さんはすまなそうな顔で説明をしてくれた。
「昨晩、早馬が来てね。なるべく早く貴陽に戻らなくちゃいけなくなっちゃって。だから少し早いけど予定を切り上げようってことになったの。ごめんね、絳攸」
「……」
「なんだ、なにか問題でもあるのか、コドモ」
「いえ、ありません…」
そういえば昨日の夜、邸内がバタバタと慌しかったのは、そういう理由があったからなのか。
なにがあったのかを子供のぼくに話してはくれないのは当たり前のことだけれど、お二人が揃って急いで戻らなくてはいけないことなら、きっと大変なことが起こったに違いない。
はい、と頷いたぼくは、すぐに頭のなかに小さな友達の姿を思い浮かべた。
(しゅうえい…)
いきなり帰ることになって、彼はどう思うだろうか。
せっかくこんなにも仲良くなったのに。
彼は寂しがるかもしれない。そしてぼくだって、本音を言えば、まだ帰りたくない。でも。
「そうだ、絳攸。今日はめずらしいおやつがあるのよ」
しょんぼりとしてしまったぼくを元気づけるように、百合さんが声を明るくして話題をかえる。
なんでしょうと顔をあげると、とっておきの秘密を打ち明けるように百合さんは子供のような顔で笑った。
「黎深がね、用意してくれたの。絳攸、カキ氷って食べたことある?」
「カキゴオリ? いいえ、ありません」
「氷を薄く削って蜜をかけたものだ。夏場には最適の菓子だぞ」
「へえ〜。そうなんですか…」
氷はそもそも冬のものだ。
それを夏に食べるだなんて、なんて贅沢な話なんだろう。
そして冬のものをこの暑い最中に用意してしまえるれいしん様はやっぱりすごい人だ。
改めて感心しながらも、カキゴオリという食べ物がいまいち想像できなくて首をかしげているぼくに、れいしん様はどこか得意そうに扇を広げた。
「茶の時間を楽しみにしているんだな。コドモ」
そしてお茶の時間になって、初めて見たカキゴオリを持って、ぼくは一目散にしゅうえいのところに走っていったわけだけれど。





「そうか。それは残念だね」
しゅんとしながら報告すると、驚いた顔をした彼は、しかしすぐにいつもの顔を取り戻した。
「そんなに悲しそうな顔をしないでくれないか。太陽のような笑顔を曇らせたことで、重罪人になったような気になるよ」
「なあに、それ」
大げさな口調と芝居がかった手振りが可笑しい。
しゅうえいはたまにこうやって可笑しなことをぼくに言う。そのたびにまるで女の人を口説いているみたいだと思っていたけれど、もしかしたらしゅうえいって女の人が好きなのかもしれない。
「そうそう、君は笑っていたほうが可愛いよ」
つられて頬を綻ばせると、パチリと片目を瞑った彼は、ぴょんと膝から飛び降りた。
すたっと地面に降り立ち居住まいを正したところで、ほろ苦く笑ってぼくを見上げる。
「名残惜しいけれど、この辺が潮時なのかもしれないね」
「しゅうえい?」
「絳攸、君と過ごした数日間は、私にとってとても貴重で楽しい日々だった」
ありがとうと差し出された手の意味を、ぼくは戸惑いながらもすぐに理解した。
(そっか…これで本当にお別れなんだ…)
貴陽に帰るということは、しゅうえいとも別れるということだ。
そんなことは十分にわかっていたはずなのに、いざさよならを言われると、どうしても悲しい気持ちがこみ上げる。
滲んできそうになる涙をぐっとこらえて、ぼくはなんとか笑顔をうかべた。
「うん、ぼくも、すごく楽しかった…」
差し出された手をそっととって、ありがとうと頭を下げる。
本当なら彼と別れたくなんかない。せっかく友達になったんだ。できることならしゅうえいも一緒に貴陽へ―――
(だめだっだめだっ)
もやもやした胸の中から湧き出してくる気持ちを、慌てて頭をふって振り払う。
そう、彼は人に見られてはいけない種族。
だからこんな場所で、一人っきりで暮らしている。
一緒に来て欲しいなんていうのは、ぼくの子供っぽいわがままだ。
だけど、せめて―――
「また、会える………?」
これっきりなんて悲しすぎるから。
もし、またいつか。ここで会うことができるなら。
涙交じりの声でそっと聞くと、ちょっと沈黙した後に、ため息のような返事が戻ってきた。
「……そうだね」
ゆらゆらとゆらぐ視界のしゅうえいは、笑っているのか、困っているのか。歪んだ世界ではその表情がはっきりと読み取れない。
もっとしっかり彼を見ていたいのに、どうしてぼくはすぐに泣いてしまうんだろう。それが悔しくて、ぐいっと拳で目じりを拭って瞬きを繰り返す。
涙の滲んだ目には夏の太陽は強すぎる。
きゅっと眇めて絞り込んだ視界は、それでも前よりずっとすっきりしていて、目の前に広がるのは青々と茂った草の海。
その葉陰に立つ、小人のしゅうえい。
そうしてまっすぐにぼくを見上げた彼は、最後に、ぼくを安心させるような声といつもの笑顔でにっこりと頷いた。
「君が私を忘れないでいてくれたら、きっといつかまた、会えるよ」




モドル/ ススム







SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送