その日以来、ぼくは毎日この離れにやってきては、彼とこっそりと会っていた。
最初は緊張したけれど、そのうち慣れてきたぼくに、しゅうえいはいろいろな話を聞かせてくれた。
この別邸が建ったころに、ここに引っ越してきたこと。
離れ内の戸棚の一部を家とし、生活物資のもろもろは、母屋から少しずつ拝借して暮らしていること。
「これを私達は『借り』と呼んでいる。いってみれば、母屋に住む人間がいなければ、私も暮らしていけないんだよ」
そういって見せてくれた彼の家は、小さいけれど住み心地がよさそうで、女の子が好きなお人形の家のようだった。
彼のことをいろいろ知るうちに、ぼくはすっかりこの小人さんと打ち解けて、そして彼がとても好きになった。
体は小さいけれど彼は大人で、いろいろなことを知っている。しゅうえいのしてくれる話はどれもおもしろくて、ぼくはたくさん笑ってたくさんワクワクした。
だからぼくは、彼に百合さんから聞いた話をすることにした。それはれいしん様のおじい様が、昔、この別邸で小人を見たという、例の話だ。その小人さんが彼じゃなくとも、なにか知っていることがあるかもしれない。
するとちょっと考える素振りを見せた彼は、ややあって思いだしたようにぽんと手を打ち合わせた。
「ああ、あの人が君のおじいさんか。へえ、なるほどね」
「えっ、それじゃおじい様が見かけた小人は、しゅうえいだったの?」
「うん、まあ、そういうことになるね」
「ふうん。しゅうえいって随分長生きなんだね」
感心するぼくに戻ってきた返事は「そういう種族なんだよ」だそうだ。
100年にも満たない人生のぼくたちからしてみれば、想像もつかないぐらいの長寿を彼はあっさりと認めている。
(もしかしてしゅえいって妖怪?)
―――なんて失礼なことを思ってしまってから、慌ててブルブルと頭を振った。
いいや、彼の雰囲気は、けっしてそんな怖いものじゃない。
姿かたちも小さいだけでぼくたちと同じだし、なにより彼の持つ空気はとても明るい。むしろ話の端々から察するに、楽天家な性格といってもいいぐらいだ。
本で見る妖怪はどれもみんなおどろおどろしいものだし、楽天家な妖怪なんて聞いたことがない。
もし「実はそうでした」といわれたとしても、彼を見知ってしまったいまは、ちょっとやそっとでは信じられないだろう。
「そっか。本当に長生きなんだね」
ひいおじいさんの代からおよそ100年。
そんな長い間を一人で生きてきたのかという質問にはちょっと苦笑して「いや、仲間はいたよ」とだけ答えた。
だったら何故、彼はいま一人なのだろう―――?
不思議に思ったけれど、そっと背けられた横顔はそれ以上の質問を拒んでいて、ぼくはもじもじと落ち着かない気分で俯いた。
「さて、私の話はこのくらいにして、今度は君の話を聞かせてくれないか」
ほんの少しの間、しーんとあたりが静まり返って。
二人の間に流れた気まずい空気を払うように、しゅうえいが明るい声で振り返る。
気を引き立てるような笑顔に救われた気持ちで頷いてから、ぼくはどこから話したものかと少し戸惑った。
「どうかしたかい?」
「えっ? あ、う、ううん。なんでもない」
ぼくの話。そう、ぼくの話だ。
ぎこちなく首を振って、まず最初にれいしん様と百合さんのことをポツリポツリと口にする。
お父さんとお母さんだと紹介すると、ああ、と合点した彼は、ひらひらした袖を母屋の方向へ向けた。
「この間、母屋に借りに行ったときに見かけたよ。黎深様といったっけ、現在のご当主だろう。紅家らしい顔立ちをしていたからすぐにわかった。ということは、あの時、一緒にいた美しいご婦人が百合姫かな?」
長く柔らかい髪色の、なんて説明にうんと頷く。
それきり黙ってしまったぼくを伺うように見て、ちょっと黙っていた彼は、ややあってそっと口を開いた。
「もしかして……二人に対してなにか思い悩むことでもあるのかい?」
「………」
なおも答えないぼくをじっと見上げて、ちょっと首を捻る。
そうしてふと空を仰ぐと、彼は思いがけないことを言った。
「うーん、そうだな……私には仲間はいない」
「え?」
いきなり何をいいだすのだろう。
突然変わった話題にきょとんとすれば、まあまあというように床に置いたぼくの手をぽんぽんと叩く。
「いいからいいから。それでね、私達は本当は人に見られてはいけないんだ」
「えっ、そうなの?」
だったらなぜ、ぼくの前に姿を現したのだろう。
疑問が顔にでていたらしく、困ったように目をしばたかせたしゅうえいは、うーんと頭を掻き毟った。
それを言われるとね、なんて呟いて、ためらっていたのもつかの間。ばつの悪そうな顔をした彼は、観念したように肩を上下させた。
「君にも話したとおり、私は一人で長い時間を生きている。でもね、一人でいるとたまに……」
「……」
「いや、なんでもない。それが理由だよ」
「……そっか」
なんでもない風を装って―――もしかしたらわざとかもしれない。あっさりとした口調には、でも全てを話さない彼の胸の中が滲み出ている気がして、ぼくはただ頷いた。
「そんな顔をしないで。いまは君の話をしているんだから」
ぼくは彼になんと声をかければいいのだろう。
適当な言葉が見つからなくて、だから黙って、ただただ続きを待っていると、とことこ歩いてきた彼は、身軽くぼくの足を登って膝頭に腰掛けた。そしてさっきよりもずっと近くでぼくをみあげて、ぼくの頬にそっと触れる。
「絳攸」
諭すような声でぼくを呼んで、目があうと、彼はにっこりと微笑んだ。
「私は誰にも秘密を漏らさない。話す人がいないからね。―――だから君も遠慮なく言ってごらん。聞いてあげるから」
「……」
その声がとても優しくて。暖かくて。
ぐっと息を飲み込んだ喉が空気の抑えてキュウと鳴る。
なんで瞼がじんわり熱くなってくるんだろう。どうして視界がぐにゃりと歪んでしまうんだろう。
膝頭に顔を埋めたくても、いま、そこには小人さんが座っていてままならない。ずずっと鼻をすすり上げて、詰まったように苦しい息の下から、やっとのことで声を絞り出す。
「悩むことなんか、ないよ」
「うん」
「悩みなんか、ない。ぼくはすごく幸せで、嬉しくて…」
一旦、口を閉ざして、すうと空気を吸い込む。
うまく吸い込めなかった空気が中途半端に漏れて、ため息のような音を零す。でも、と続けると、ますます瞼が熱くなった。
「……ときどき思うんだ」
「なにをだい?」
「ぼくも」
「うん」
「ぼくも……」
穏やかに返される相槌。乱暴に目頭を拳で擦って、こみあげる涙を堪え、小人さんを見つめる。
正確には、その長くて綺麗な黒い髪を。
なんとか笑おうとして、でもすぐにぼくは笑うことを諦めた。
「しゅうえいみたいに、綺麗な黒髪だったらよかったのに―――」



モドル/ ススム







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