「しゅうえいっ。しゅうえい、いる?」
はぁはぁと息を切らせて扉をあけると、彼はいつものように戸棚に座って待っていた。
飛び込んできたぼくを見上げて、にこにこと手を振ってくれる。
「やあ、絳攸。今日も暑いね」
「うん。ね、それよりこれを見て。百合さんに貰ったんだよ」
ここまで急いで走ってきたのはこのためだ。
大事に抱えてきた器を差し出すと、大きな氷を削りだして甘い蜜をかけた氷菓子は、かなり溶けてしまっている。
「しゅうえいと一緒に食べようと思って、持ってきたんだ」
「そうか、ありがとう。それじゃ私も急いで匙を取ってくるよ」
早く食べないと、と急かす僕に「待っていて」と言い残して、すたすたと天板の隅に移動し、軽く叩く。
どんな仕掛けなのかわからないけれど、ぱかっと一部の板が跳ね上がり、身軽い動作で戸棚の中に降りていったしゅうえいは、言葉のとおり、いくらもしないうちに小さな風呂敷包みを持って戻ってきた。
「せっかくだし、外の木陰で食べようか。風が吹いて気持ちがいいよ」
「うん」
手を伸ばせば、躊躇いなくぼくの掌に立つ。彼と氷菓子を落っことさないように気をつけながら、ぼくは慎重な足取りで階を降りた。







小人さんと初めて会ったあの日。
話しかけてきた彼と目が合ったぼくは、驚いて大声を上げた後、一目散に邸へと走って帰った。
(ほ、ほんとうにいた…っ)
衝撃の出会いにドキドキと煩い胸は、夕食の時になっても収まらず、なかなか食べ物が喉を通らないぼくのおでこに、百合さんは心配そうに手を当てた。
「絳攸、食欲がないみたいだね。熱はないけど…どこか痛いところとかある?」
「なんだコドモ。風邪か」
「いいえ…」
れいしん様までお箸をとめて、ぼくを見る。
慌てて「なんでもありません」と首を振ったけれど、できることならぼくは、その場で百合さんに全部話してしまいたかった。
百合さんっ、百合さんの言っていた小人は本当にいました。
庭院の木立の中の、小さい建物の中で会ったんです。
身長はこれくらい、えっと、百合さんの手首から指先ぐらいまでの高さで、男の人でした。
青い綺麗な衣を着ていて、髪は黒くて、長くて……
(でも駄目だ!)
お二人の目から逃げるようにぎゅっと目を瞑って、俯く。
だって百合さんは言ったんだ。「秘密だよ」って。
そして小人さんのことは、れいしん様も知らない話なんだ。
だからここでは言えない。絶対に言えないけど、そう思えば思うほど、胸がドキドキして苦しい。苦しいから御飯が入っていかない。入っていかないから百合さんが心配する。
「そう、大丈夫ならいいんだけど……でも大事をとって、早く休んだほうがいいかもしれないね」
どうしたらいいのか分からなくてそのまま俯いていると、家令さんを呼んだ百合さんはぼくを部屋まで連れて行くようにいいつけた。
まだ眠くなかったけど、やっぱりどうしていいかわからなかったから、素直におやすみなさいの挨拶をする。
百合さんの声がして、れいしん様の声がして、そうして部屋に戻って臥台にもぐりこんだとき、ぼくは大変なことに気がついた。
(あっ…本…)
そう、百合さんに貰った大切な本を、ぼくはあの建物で落っことしてきてしまったのだ。







「………」
そして翌日。
足音を忍ばせて近づいた建物の扉は、ぼくが開けたときそのままに、半分傾いてゆらゆらと風に揺れていた。
少し離れた場所から、爪先だって扉の向こうを眺め見る。
眩しい場所から暗い室内は見えにくかったけれど、頑張って目を凝らしていると、壁に隠れた場所に本の角が見えていた。
(やっぱりここで落としたんだ)
改めて確認してほっと息をつく。そしてそっと周りを見回した。
相変わらず草がぼうぼうに生えた周囲には、ぼくの他に人の姿は見えない。打ち捨てられたような建物もしんと静まりかえって、聞こえるのは近くの木で鳴く蝉の声ばかり。
一歩。二歩。足音を忍んで近づいて、思い切って三歩、四歩。五歩目で階にたどり着いたぼくは、そっと石の段を上ると、おそるおそる室内に足を踏み入れた。
(誰もいない…)
薄暗い部屋の中では、昨日と同じく壊れた半蔀から太陽が差し込み、きらきらと細かい埃が舞っている。
しばらく様子を伺っていたけれど何の気配もしないので、ぼくは思い切って床に落ちた本に手をのばした。
くたっと開いている場面は、例のおわんの船をこぐ男の人の挿絵だ。開いたままの本を素早く拾って胸に抱えたその時。
「やあ、また来たね」
「っ!」
「おっと。そんなに驚かないでくれないか。君をどうこうしようという気持ちはないよ」
またもや聞こえた声に、ぼくは息を呑んでその場から飛び退った。
ひょうしにぶつかった腰掛から埃が盛大に舞い上がる。
埃にむせ返りながら声が聞こえたほうを振り返ると、涙で滲む戸棚の上には、やっぱり昨日と同じく小さな男の人が立っていた。
「あ、あああああなたは、えっと、だ、だれですかっ」
ようやく咳も収まったところで、じりじりと距離をとりながらぼくは質問をした。
本当はこのまま逃げ出したいぐらい緊張していたのだけれど、昨日、臥台の中で決意したのだ。
(彼はたぶん、百合さんが言っていた小人さんに違いない)
そして百合さんは、できることなら彼に会ってみたいと言っていた。
もしそれが無理でも、ぼくがもう一度彼と会うことができたなら、彼と話をしてみよう。
そうしたらぼくから小人さんの話をしてあげることができるし、きっと百合さんも喜んでくれるはずだ。
(だから今度は逃げないぞ!)
そう決めたはずなのに、情けないことに、ぼくの足は緊張でがくがくと震えている。
なんとかそれを堪えて小人さんを見つめると、ちょっと不思議な顔で笑った彼は、そんなに怖がらないで、と両手を広げた。
「私の名前はしゅうえい。見てのとおり小人で、この離れを借りて住んでいるんだ。そして君の名前を知りたいと思っている」
「ぼ、ぼくの?」
「そうだよ。初対面では互いに名乗りあうのが礼儀だろう?」
よく見ると小人さん―――しゅうえいさんというらしい――ーは、かなりかっこいい顔をしていた。
ぼくに笑いかける笑顔も、なんというか、甘い? 顔で、そしてどこかしら、明るい雰囲気を持っている。
小さい体なのによく響く綺麗な声をしていて、ね、と微笑みかけた彼に、ぼくはどもりながら名前を教えた。
「ぼ、ぼくは、こうゆうです。李、絳攸といいます」
「はじめまして、絳攸。君は紅家の子供かな?」
「えっと……そう、です」
「?」
歯切れの悪い返事に、しゅうえいさんが不思議そうに首をかしげる。それ以上、詳しく聞かれないうちに、ぼくは重ねて質問をした。
「えっと、それで、しゅうえいさんは…」
「しゅうえいでいいよ。みんなそう呼ぶから。いや…呼んでいた、かな」
カチコチになっているぼくの緊張を解きほぐそうとするように、しゅうえいさんは明るい声で手を振る。
でもつけ足された言葉が少し寂しそうだったのは、ぼくの気のせいだろうか。
「…? はい。えっとそれじゃ、しゅうえいは、ここで何をしてるんですか?」
疑問に思いながら続けると、敬語もいいよと笑った彼は、何って、と小さな肩を竦めた。
「だからさっきも言っただろう? ここに住んでいるんだよ」





モドル/ ススム







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