シャワシャワシャワ……
近く遠く、蝉が鳴いている。
木立に囲まれた庭院で聞く蝉の声は、貴陽で聞くものよりもどこか涼しげだ。
とぼとぼと木々の間を歩いているうちに、梢を揺らす風に前髪を吹き乱されて、慌てておでこを押さえたぼくは、その拍子に持っていた本を落っことしてしまった。
「ああっ」
慌てて拾い上げて、泥をはたく。
幸い、ここ数日雨が降っていないらしく土は乾いていて、すぐに落ちた汚れにほっとする。
改めて胸に抱きしめたその本は、百合さんがくれたお伽草子だ。
文字と文章の勉強にと、百合さんはいろいろな本をぼくにくれる。なかでもこの本は、小さな人がお姫さまを助ける物語で、百合さんに小人の話を聞いてから、なんとなく引っ張りだしてきたものだ。
ぱらぱらと本を開けば、掌に乗るぐらいの小さな男がおわんの船で川を下っている挿絵が目にはいる。
(この邸にいる小人さんもこんな感じなのかなぁ…)
あれから数日、小人さんに出会う気配は全くない。
百合さんは仕事に忙しそうだし、れいしん様はどこにいるのか、ごはんの時以外はさっぱりお顔をみていない。
ずっと一人で過ごすうちに、邸内は探検しつくしてしまった。きょう暑い最中に庭院にでてきたのも、建物内にはこれ以上探す場所がなかったからだ。
(本当にいるのかな)
れいしん様のおじい様が見たというんだから、きっとどこかにいるんだろうと思う。
でもそれはずーっと昔のお話だ。
ふ、と小さな息を吐いて顔をあげたぼくは、けれどすぐにきゅっと目を凝らした。
(あれ…あんなところに建物がある…)
自然の森を模して立ち並ぶ木立の奥、茂った枝葉に隠れるようにしてちょこっとだけ屋根を覗かせている建物。
初日に百合さんと探検したときには気がつかなかった。
なんだか気を引かれて、草を掻き分けて近づいてみる。
ずっと人が来ていないのか、建物の周りは草がぼうぼうだ。
石でできた階を上って蝶番が外れかかった扉を押してみると、ギギーっと錆びついた音を響かせながら開いた奥には、八角形の部屋ががらんと広がっていた。
「うわ…すごいほこり…」
壁際に小さな戸棚と、中央に方卓が一つ。卓を囲むように背もたれのない腰掛が四つ。
打ち捨てられたような部屋は、どこもかしこも埃まみれだ。
薄暗い室内には、壊れた半蔀の隙間から太陽が差し込んで、陽光の中をきらきらと埃が舞っている。
どこからか動物が入ってきているのか、床にはどんぐりが一つ、二つ……ちょっと離れたところにみっつ。
「なんだか秘密基地みたいだ」
差し込む光にキラっと光ったドングリがまるで宝物のように思えて、ぼくはその場でしゃがみこんだ。
(この場所は、たぶん百合さんもれいしん様も知らないんだろうなぁ)
ぼくだけが知っている秘密の場所。
そう思うだけで、なんだか胸がどきどきしてくる。
ちょっとだけ悪いことをしているような、なんだかよく分からない後ろめたい気持ちに混じって、得意な気分も沸いてくる。
本を胸に抱え込んで、きょろきょろと周りを見回していたぼくは、ふと視界の隅を走った影に、はっと戸棚を振り返った。
(あっ)
いま、なにか走っていった気がする。
一瞬だったけれど、さっと戸棚の陰に隠れたモノは、何だったんだろう。
(小さかったから、動物かな)
そうだ、リスかも。この部屋に隠したどんぐりを拾いに来たのかもしれない。そこにぼくがいたから、びっくりして隠れてしまったのだろうか。
(もう一度、姿を見せてくれないかなぁ…)
冒険気分でドキドキしていた胸には、いまはワクワクも加わって、ぼくはぎゅっと本を抱きしめた。
百合さんがくれた絵図鑑で見たことはあるけれど、本物のリスをみるのは初めてだ。本当に本のように可愛い姿をしているのだろうか。だったらぜひ見てみたい。
しばらく期待をこめてじーっと戸棚を見つめる。
けれど、どのくらいそうしていただろう。ため息をついたぼくは、けっきょく諦めることにした。
(そうか…警戒してでてこないのかも)
さっと隠れたまま、戸棚からはうんともすんとも反応がない。
しーんと静まり返った部屋には、蝉の声が遠く響き、風の吹き込まない部屋は暑い。
額と鼻の頭にかいた汗を袖口で拭ってみると、じっとりと衣が濡れてしまった。背中にも汗をかいているらしく、肌着が張りついている感じがする。喉にも渇きを覚えたぼくは、なごりおしく思いながら、そろそろと腰を浮かせた、
(このままそーっと出て行こう…)
これ以上待ち続けていても、ぼくがいる限り姿を現さないなら、いつまで待っても同じことだろう。長い間しゃがみっぱなしで足が痺れてきたし、同じ姿勢でいるのも疲れた。
それにぼくがいなくなれば、リス(だと思う)も安心してどんぐりを拾いにでてくるはずだ。驚かせないようにゆっくりと腰をあげながら、でも、と呟く。
「もしかしたら、ねずみだったのかな……」
そうだ。その可能性も十分ありえる。
なにせ影を見たのは一瞬だ。
リスだったらいいと思ってずっと待っていたけど、ただのねずみだったらガッカリだ。
時間を無駄にしてしまった気がして、意気消沈しながら立ち上がりかけたその時。
「鼠に間違われるのは心外だね」
「……? ……。……うわああぁああっ!!」
不意に聞こえてきた声に驚いたぼくは、声のしたほう―――戸棚だ―――を振り返り、そこに立っていた彼と目があった瞬間、劈くような大声をあげていた。





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