※彩雲国物語絵巻2掲載の「逢引の相手は…」のネタバレを含みます。



「こんな時刻になんの用だ?さすがに藍家の子息は礼儀をわきまえているな」

満身ぼろぼろになりながらたどり着いた客間の主は、扉から現れた藍家の四男を上から下まで眺めるやフンと鼻で笑った。

「あ…あの…百合さんは…」
「いまを何刻だと思っている?寝所に引っ込んでいるに決まっているだろう」

正確には、真夜中を過ぎたところで家人に命じて、絳攸を待つんだと嫌がる百合を無理やり寝所に閉じ込めでてこないように見張りまでつけたのだが、真実を正直に教えてやるような黎深ではない。
いまごろ奥まった寝所で「ここから出せ」と喚いているかもしれないが、絳攸と楸瑛にその声が聞こえるはずもなく。黎深の言葉を真に受けた絳攸は、がっくりと床に座り込んだ。

「紅尚書。夜分遅くに失礼いたします」

上官に対する正式な礼をとった楸瑛は、顔をあげるとおかしいですねと微笑んだ。

「私は紅家当主様と奥方様に呼ばれて参ったのですが。確かに約束の刻限には間に合いませんでした。道中なぜかさまざまな邪魔が入りまして。見てのとおり絳攸ともどもぼろぼろです」
「確かに見事に上から下まで乱れきってるな。見苦しい。それに私はお前なんぞ呼んだ覚えはない」
「そんな黎深様!百合さんとお二人で話を聞いてくださるとおっしゃったじゃないですか! 」

へたり込んでいた絳攸が気力を奮い起こして詰め寄ると、ツーンとそっぽをむいた黎深はパラリと扇で口元を隠した。

「言ったのは百合だ。私じゃない」
「………」
「………」

子供かよ。奇しくも絳攸と楸瑛の心の声は一致した。

「それでは甘味所の一件の説明は…」
「聞くまでもないな」
「私はその説明のために参ったのですよ!」

珍しく声を荒げた楸瑛を、黎深は冷めた目で眺めている。
その冷たい顔が、今は心底憎らしい。
日ごろはめったに怒りを面に出さない楸瑛だが、これまでの仕打ちにはいい加減頭にきていた。
なんの恨みを買ったのかは知らないが、紅尚書の邪魔は紅家本邸が見えてからが本命だった。暗器を手に襲い掛かる影の数々。
さすがに絳攸を害することはなかったが、その分楸瑛に集中した影たちの手並みは驚くほど鋭く、本気で死ぬかと思った。
絳攸も拾った石を投げつけたりして応戦してくれたものの(中には楸瑛にあたったものもあるが)徐々に追い詰められ必死で逃げた挙句、ようやく紅家の門をくぐることができて体中から力がぬけた。
綺麗にまとめていた髪も、まるで落ち武者のようにばらばらと乱れ落ち、着物は当然泥だらけ。不覚にも避け切れなかった暗器に裂かれ、あちこちほころびができている。
絳攸との約束もあったが、何度もこのまま藍家に戻ろうかと思う心を打ち消してきたのは、一言紅尚書に文句をいいたい一心だった。
恨みを買うと恐ろしい人物だが、いまはそんな理性が吹き飛ぶほど頭にきている。

「だいたいなんですかあの嫌がらせは!軒を壊したり鶏を放したり泥玉をぶつけるぐらいならまだ許せますが、最後のアレは!確実に私を狙ってましたよね。仕留める気でしたよね。なんとかしのげたからいいようなものの、私を殺す気ですか!」
「将軍職を預かるものがあの程度で根をあげるとは右羽林軍も落ちたものだな。ふん。まだ生きているとは実におしいことをした」
「…っ!黎深様!いい過ぎです!!」

相手は藍家の直系子息だ。
紅家をまとめる当主が物騒な発言をしていい相手ではない。
青くなった絳攸が思わず声を上げると、楸瑛に冷ややかな視線をなげていた黎深が、眉をひそめて絳攸を見た。

「絳攸。お前は口を挟むんじゃない。それになんだその顔は。泥だらけで目の回りなぞパンダのようだぞ」
「…黎深様がお命じになった影のせいでこうなったんですよ!」

確かに絳攸の目の周りにはこすった泥が薄くこびりついていて、パンダの隈取のようにみえなくもない。怒りをこらえてフルフルと震えながら呻くと、しらんぷりでパタパタと扇を仰いだ黎深は、当分に二人を眺めて口を開いた。

「だいたいお前たちは私に何の説明をするつもりだったんだ?甘味所の一件など、百合の勘違いに決まっているだろう」
「…!!」
「気がついていたんですか!?」

ぎょっと息をのんだ絳攸を一瞥し、ついで目をむいた楸瑛にむかって黎深が馬鹿にした視線を送る。

「当たり前だ。私を誰だと思ってる」

紅黎深。
歩く悪魔。
彼の前に道はなく、彼の後に地獄ができる悪逆非道の吏部尚書。

「…じゃあ私はいったい何のためにここまでして…」

思わず頭を抱えた楸瑛の隣で、すでに床とお友達になりかけている絳攸が、最後の気力を振り絞ってまっとうな質問をした。

「じゃ、じゃあ、なぜ黎深様はいままでずっと黙っていらっしゃったのですか!?」

もっともな言い分である。
黎深が一言話してくれさえすれば、これほどの苦労を背負い込むこともなかったのに。
絳攸の言葉につられ顔をあげた楸瑛と憔悴しきった養い子を一瞥し、口元を扇で隠した黎深はびっくりするほど意地悪く瞳を細めて目だけで笑った。

「そのほうが面白いと思ったからだ」
「!!!!!!!!」

その瞬間、二人をかろうじて支えていた気力はついに根こそぎ霧散した。
最初に絳攸が床に崩れ落ち、ついで楸瑛が倒れこむようにして床と抱擁した。
二体の泥人形と貸した二人の頭の中では、いままでの苦労はなんだったのだろうアハハウフフとお花畑に蝶が舞い飛び、川向こうではいつかどこかで見たことのある人が笑顔で手を振っている。
意識が遠くなり、真っ白い世界が近づいてくるにつれ、ああ、自分はいま意識を手放そうとしているのだと妙に冷静な頭で理解した。

こうして若くして宮廷の高官まで上り詰めた二人の将来有望な若者は、この夜、王宮内でささやき買わされる噂がまったくもって事実であることを心の底から悟ったのだった。








終了。おつかれさまでした。
オマケの黎深と百合↓


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