養い親の多大なる誤解から申し込まれた会見を、楸瑛はあっさりとひとつ返事で引き受けた。 「すまんな。お前の口からよぉぉぉぉ〜〜〜〜〜〜く百合さんに説明してくれ…」 「私も一度紅吏部尚書の奥方にはお会いしたいと思っていたからね。いまからお会いするのが楽しみだよ」 「…言っておくが、百合さんに手を出すなよ」 「そんな自殺願望はないよ」 なにせ相手はあの氷の長官吏部尚書である。 手を出した瞬間に抹殺されてもおかしくない。 「まぁ私にまかせてくれ。ちゃんと説明するから」 顔に縦線が入りまくりの絳攸の肩をポンと叩いて、にこやかに笑んだ楸瑛は、急に声を潜めると、すすすと絳攸にすりよった。 「だから、もちろん私の頼みも引き受けてくれるよね?」 「…ああ。誰ぞにこの間の事件の真相を、事細かく正確に明確に説明すればいいんだろ」 「うん。頼むよ。当事者の君から説明してもらうのが一番だと思って」 気障ったらしくパチリと片目をつぶってみせる。 「そういう仕草は女相手にやれ。で、誰に説明すればいいんだ」 「それは…」 外朝でも人通りの少ない回廊の、さらに柱の影に立っているにもかかわらず、きょろきょろと周囲を見回した楸瑛は、さらに絳攸に身を寄せると声を潜めていった。 「おい。あんまりくっつくな」 「………」 「は?聞こえんぞ。もっと大きな声で言え」 「……珠翠殿だ」 「誰だって?」 「…珠翠殿だ!」 「珠翠殿?主上の筆頭女官の?」 是と頷いた楸瑛は、いささか照れくさそうに額の生え際をこりこりと指でかいている。 そうか。この男の想い人は彼女だったのか。 珠翠の凛とした美しい容貌を思い出し、そういえばと腐れ縁の男をみた。 「お前、後宮に顔を出しては珠翠殿に追い出されていたんじゃなかったのか?これ以上女官に手を出すなといってくれと、俺のところまで苦情をいいにきたぞ。後宮のあちこちに沸いて大変迷惑していると渋い顔をしていたが」 「ぐっ。…それはそうなんだが…いや、勘違いしないでくれ絳攸。彼女への想いは恋愛感情とは違うんだ。そう、誤解されると気になる人というか…ほっとけない人というか」 「お前が評判を気にしているだけで俺には特別に思えるがな。まぁいい。彼女にお前の身の潔白を証言すればいいだけだろう。簡単な話だ」 まかせておけと力強く請け負うと、めずらしく満面の笑みを浮かべた楸瑛は、ぎゅうっと絳攸の手を握り締めた。 「ありがとう絳攸。持つべきものはやはり親友だね」 「…」 普段ならここで「お前なんぞ腐れ縁で十分だ!」と切り返すところなのだが、今回はこちらから頼んだ手前もある。 ゆえに手を振り払うだけにとどめておいて、絳攸は意気揚々と後宮に足をむけた。 「いくぞ。楸瑛。こんな面倒事はさっさと片付けるに限る」 「うわー。頼もしいね。絳攸。さすがだよ」 でも、と歩き出した絳攸の袖を引く。 「残念ながら後宮はこっちだよ。そっちにいくと外にでちゃうからね」 ・ ・ ・ 「まあ。李侍郎。どうなさったのですか。主上はまだ外朝にいらっしゃるはずですが」 「…珠翠殿」 後宮の入り口まで連れ立ってきた楸瑛を、内朝と後宮を区切る扉の向こうで待たせることにして、ひとりウロウロと後宮をさまよっていた絳攸は、ようやく目当ての人物にめぐり合えたことで、内心ほっと息をついた。 「いえ、主上ではなく貴方をお探ししていたのです」 「私を?」 どのようなご用件かしらと切れ長の瞳を目を丸くする。 それもそうだろう。同じく主上の側近ではあるが、後宮を我が庭のように知り尽くしている楸瑛と女嫌いの絳攸は真逆の存在だ。 女嫌いの彼が、政務以外で後宮に爪先を向けることはなく(迷い込んだことは多々あるが)必衰筆頭女官との接触も薄い。 その彼がわざわざ自分に何の用だろうと珠翠は首をかしげた。 「その…例の噂のことなのですが…」 彼女の誤解を解くことが一番の目的だが、自分に頼まれたとは言わないでくれと、楸瑛からは口をすっぱくして言われている。 表面上、例の噂に迷惑している当事者として、後宮をまとめる筆頭女官に真実を話し、噂を一日でも早く収束させてもらうことを建前にして説明を進めていくと、次第に事情を理解した珠翠は気の毒そうな顔をした。 「それであの噂ですが…」 本当に困った主上だとは、胸の中だけで呟いておく。 「はい。私も大変迷惑しております。ですから、ぜひ筆頭女官の貴方のお力をお借りできればと」 「わかりました。私からも女官たちに注意を促しておきましょう。ですがモノが噂ですから早々に収まるようには思えません。それに…」 「それに?」 曖昧に言葉を濁した珠翠を見つめて、絳攸が先を促す。 口唇を袖口で隠し、ためらうように視線を迷わせた珠翠は、ややあって申し訳なさそうに絳攸を見上げた。 「…実は、迷惑している李侍郎には申し訳ないのですが、例の噂が広まって私としては助かっているのです」 「なぜですか?」 「藍将軍の所業は李侍郎もご存知でしょう?女官を取り仕切るのも私の務めなら、彼女たちを守るのも私の務めです。いままで幾人の女官が藍将軍に惑わされ、その都度私が出張ることになったか…!!まったくふらふらと所かまわず沸いてきて、あのボウフ…」 「ボウフ?」 「…コホン。いえなんでもございません。というわけですので、例の噂によって藍将軍の毒牙にかかる女官が激減いたしまして。私としては一息ついていたところなのです」 「そうですか…それは申し訳ないことを…」 苦りきった表情の珠翠にチロリとにらまれて、絳攸の背中をタラタラとつめたい汗が流れ落ちる。 あの万年常春男が! 怒鳴りつけたくても当の本人はここにはいない。 身の置き所もなく絳攸が縮こまっていると、笑顔に戻った珠翠がいいえと首を振った。 「李侍郎が謝られることはございません。すべてあのボウフラ…ゴフン。藍将軍の責任ですし。きっとそのうち痛い目をみることでしょう」 もう見ているとはさすがにいえない。 笑顔なのになんだか怖い珠翠からぎこちなく目をそらした絳攸は、一番重要なことを伝え忘れていたことに気がついた。 「あ、それから楸瑛は両刀ではないと…」 「は?」 「いえ、男に迫られているところを貴方に見られたとこぼしていたもので…」 こぼしていたというか悲嘆にくれていたというか。 いわば、この一点こそが楸瑛が絳攸を後宮に送り出した最大の要因だった。 この誤解だけはしっかり何が何でも解いてきてくれと頭を下げた腐れ縁を思い浮かべながら、ちゃんと言うことは言った。あとは知らんと肩の力をぬく。 珠翠の反応はどうかと目を戻すと、怖い笑顔のままだった彼女は、さらに笑みを深めて言い切った。 「そうですか。では『藍将軍の女性好きはよーく存じております。貴方様の性癖に爪の先ほどの興味もございませんので、どうぞご心配なく』とお伝えくださいませ」 「えっ?」 「ご用件はそれだけですか。それでは主上の夕餉の準備がありますので、失礼いたします」 あっさりさっぱり。心の底からどうでもいいといわんばかりの反応に唖然としている絳攸に一礼し、筆頭女官は優雅な仕草で去っていく。 (お伝えくださいといわれても…) この伝言をどうやって伝えたら、柔らかな印象になるのかさっぱりわからない。 筆頭女官の背中はすでに見えなくなっている。 ひとりポツンとその場に取り残された絳攸は、腐れ縁の茨だらけの前途を想い、思わず同情のため息をこぼした。 ・ ・ ・ 「絳攸!どうだった?誤解は解けたかい?」 お約束のごとく迷いまくった挙句、ようやく後宮の出口にたどりついた絳攸は、諸手をあげてのお出迎えに眦を吊り上げた。 「楸瑛!!お前はもう少し日頃の自分の行動を省みろ!」 「なんだい、いきなり。怒らないできちんと説明しておくれよ。それで珠翠殿はなんて?例のこと、ちゃんと伝えてくれたかい?」 絳攸が後宮に入ってから、ずっとここで待っていたのだろう。 覗き込むように両肩に手を置き、次々に質問を重ねる楸瑛を疲れきった顔で見返して、深々と息を吐いた絳攸はこくりと頷いた。 「…噂の収束にはご協力いただけるそうだ。お前が両刀でないということもはっきりと伝えておいた」 「ありがとう絳攸!さすがだね」 ぎゅうっと抱きしめてこようとしたので、問答無用で押しのける。 後宮に近いこんな場所で、抱きあっているところを女官にでも見られたら、噂の収束どころか火に油を注ぐ結果になりかねない。 「離せ。常春」 そっけなく言い捨てて歩きだした絳攸を、追いかけてきた楸瑛が不思議そうに覗き込んだ。 「どうしたんだい。さっきから機嫌が悪そうだけど」 「…別に。ちょっと疲れただけだ」 本当に疲れた。後宮を無意味に歩きまわって体力的にも疲れたが、何より精神の疲労が半端じゃない。 楸瑛のことで苦情をいわれるだろうことは予測していた。 しかし…。 (まさか想い人からボウフラ呼ばわりされているとは…) そのうえあの無関心さといったらどうだろう。 まさに我関せず。彼女の視界に「藍楸瑛」は存在せず、いるのは害虫として認識されている男のみ。 自業自得とは思うが、楸瑛が上機嫌になればなるほど、なにやら切なくなってくる。 「それで、珠翠殿はなんて言っていたんだい?」 詳しく話して聞かせろと煩い楸瑛に適当に返事をしながら、美しい筆頭女官のにがりきった表情を思いだす。 例の伝言を一言一句間違いなく伝えたら、しばらく立ち直れないんじゃないだろうか。 (前途は多難だが、めげずに頑張れよ…) にこにこと話を聞いている楸瑛の広い背中を、心からの励ましをこめて、絳攸はぽんぽんと優しく叩いた。 楸瑛→珠翠大好きです。カワイイ。 モドル/ ススム/ TOP |
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