「それでは私は午後の訓練がありますのでこれで」 「俺も吏部に戻る。お目付け役がいないからってサボるなよ」 「わ、わかっているのだ。二人がいない隙に秀麗のところに遊びにいこうなんて、これっぽっちも思っていないのだ」 「やっぱりサボル気だったのかこの昆君がーーーーーーっっっ!!!」 耳を劈く怒声と共に、吏部侍郎の手からすばらしいスピードで巻物が飛んだ。 ・ ・ ・ 「うっうっ…ちょっと冗談をいっただけなのに…あんなに怒ることないのだ…」 めそめそと書類に筆を滑らせていた劉輝は、垂れてきた鼻水を桜紙でチーンとかんだ。 楸瑛も絳攸も、すでに己の部署に戻っている。 一人きりの執務室はだだっ広く、鼻をかむ音がいやに大きく響く。 丸めた桜紙をくずかごに投擲し、決済済みの盆に押捺した書類を投げ込んだ劉輝は、くてっと机案に突っ伏した。 左頬を机面にべたりとはりつけて、深々とため息をつく。 「……秀麗……」 まぶたの裏に浮かんだ愛しい姿を追いながら、会いたい、と思った。 彼女が後宮を去ってから今日まで、ずっと顔を見ていない。 別れの日から季節は順調に移り変わり、ことさら厳しかった夏もようやく峠を越そうとしている。 その間にどれだけ会いたいと願ったか。 最近では想いが高まりすぎて、外朝で彼女の気配を感じてしまうほどだ。 しかし劉輝の心の飢えとは裏腹に、後宮から消えた貴妃のことなど忘れてしまったかのように、朝廷は一定の調子でまわり続けている。 それが少し虚しく感じてしまう今日この頃だった。 「文も書いているし贈り物もしているのに、ちっとも返事がこない…」 山のように送った文にも心づくしの贈り物にも全く反応がなかった。 もしや会えない期間に心変わりをしてしまったのではと、不安が胸を締め付ける。 心変わりも何も、最初から秀麗にその気はないのだが、恋する乙女―――もとい恋する男子の劉輝はあらぬ懸念にやきもきするばかりだ。 はぁと切ないため息を漏らしたところで、机上に咲いた可憐な花が目に留まった。 小ぶりの百合のような花に、にこやかな笑みをたたえた側近の言葉がよみがえる。 この花の花言葉をご存知ですか―――。 「………」 じっと時鳥草を見つめることしばし。 ゆっくりと身体を起こした劉輝は、椅子から立ち上がると、戸棚にあった文箱に腕を伸ばした。 ・ ・ ・ 「………これはまた立派な文箱ね」 文が届いているよと邵可から差し出された文箱は、黒漆に螺鈿で華を散らせた煌びやかなものだった。 巻かれた太い紐は純粋な紫。 送り主など考えずとも判る。 「今度は何かしら」 初めて劉輝から文を送られた際も、同じように立派な文箱で届けられたものだ。 中を開けてみれば高級な料紙に一言。 『寂しいが余はひとりで寝ている』 これほど無駄な紙の使い方はない。 今度も一言文じゃないでしょうねと自室に戻って文箱を開いた秀麗は、あらと目を見開いた。 「花だわ」 艶光する黒漆に濃茶の薄い絹が敷かれ、可憐な花が一茎収められている。 花と布を取り出してみたが、文は入っていない。 手にしていた布を箱に戻して、試す眇めつ花を見る。 時鳥草―――今頃の時期、薄暗い場所にひっそりと咲く、たいして珍しくもない花だ。 8年前の王位争いの際、庭院の植物を食べつくしてからは見かけないが、邵可邸にも以前は咲いていた気がする。 懐かしい花だと瞳を細めて、秀麗はくすりと笑った。 「最近、やけに時鳥草に縁があるわね」 つい先日も邵可が知り合いから頂いたのだと、篭一杯の時鳥草を持って帰ってきた。 邸のあちらこちらに飾ったそれは、まだ枯れることなく秀麗たちの目を愉しませている。 かくいう秀麗の部屋の卓の上にも質素な一輪挿しに活けられており、卓に歩み寄った秀麗は、劉輝から送られた一茎をそっと花瓶に差し込んだ。 二本に増えた花を見て、腰掛に腰を下ろした秀麗は瞳を和ませる。 「とんちんかんな物ばかり送ってくると思ってたけど…」 門から入りきらないような巨大な氷塊だとか、大量ゆで卵だとか、墓場に咲く彼岸花だとか。 迷惑なものばかりと頭を痛めていたが、この素朴で可憐な花は素敵な贈り物だと思う。 文もない、花だけのそれに劉輝の無言の心が込められている気がして、王宮の方角を振り返った秀麗は、いまごろ王様として頑張っているだろう人を思い、そっと息を吐いた。 多少加筆修正してあります。 原作を無視した最後になってしまいましたが、これで〆で。 お付き合いいただきありがとうございました。 モドル/ TOP |
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