「―――ということがあったのだ。せっかく秀麗から食事に誘われたというのに応えられないこの苦しみ…哀しみ………くそっ絳攸めっ」 黎深の両手に握られた扇は、いまにも半分に折れそうなほどしなっている。 ぶるぶると手を震わせている夫をしみじみと眺め、卓に頬杖をついた百合は呆れた声をだした。 「ていうかさぁー。君が絳攸の名前を語ったんだろ?それで絳攸を恨むのは筋違いだと思うけど」 「私だって好きで語ったわけじゃない。致し方なくだっ」 心底妬ましそうに黎深が顔を歪ませる。 いまここに手巾があったら、間違いなくかみ締めていただろう表情だ。 悋気と怒気で顔を赤くした黎深はまるで赤鬼のようで、この嫉妬深い鬼の恨みを一身にかった絳攸は災難としかいいようがない。 身の覚えのない感謝をされて、わけのわからないままに食事を終えて戻ってくるだろう養い子の末路を見た気がして、百合は深々としたため息を吐いた。 「だから言ってるだろー。いい加減正体を明しなよって。君が頑なに逃げ回ってるからおかしくなるんじゃないか。さっさと叔父だとばらしておけば、今日だって君が秀麗ちゃんと一緒に食事できたのに」 「ばかっそんな簡単にいくか。よく考えてみろ百合。もし私が叔父だと名乗った暁に『父様を追い出して当主になったんですって?叔父様って最低!』なんていわれた日には………っ」 生きていけないだろうねと百合は思った。 卓に突っ伏してしまった夫の髪を、手を伸ばしてよしよしと撫でてやる。 癖のない艶やかな髪が指の間を滑っていく感触が心地いい。 大人のふりをした子供を慰めながら、百合は諭すように口を開いた。 「あのさ、黎深はちょっと考えすぎだと思うよ。ぼくは秀麗ちゃんはそんなこと言う子じゃないと思うけど」 「そっそうだ。秀麗はそんな子じゃない。だが…もし…もしも万が一……」 「言われたら立ち直れないって?―――まったくちっとも成長しないね、君は」 「なんだと?」 心外だというように勢いよく起き上がった黎深を真正面から見つめて、百合はひょいと肩を竦めてみせる。 「だってそうだろ。怖いのも判るけどさ。もっと秀麗ちゃんのこと信用してあげたらどう?」 「…っ!」 サラリと投げ渡された言葉に、黎深が小さく息を飲む。 痛いところをつかれたのか。 引き結んだ唇がかすかに歪み、強張った表情でぷいと視線をそらす。 近しいゆえの遠慮のない指摘は、繊細な(ところもある)彼を傷つけたらしい。 「……ごめん。ちょっと言い過ぎた」 苦しげにしかめられた顔に少しばかり心が痛んで、百合は小さな声で謝った。 つい口が滑ってしまったが、百合だって黎深が秀麗を信用していないと思っているわけじゃない。 ただ大切すぎるだけで。 だからこそほんの僅かな傷ですら、大きなダメージとなってしまう。 そしてそれこそを黎深が怖れていることも。 「うるさい。お前にわかるもんか」 「そんなことないよ。黎深が秀麗ちゃんを信用していることは、よーくわかってる」 でもね、と続けると、視線だけが百合に向けられる。 「でも、もうそろそろ黎深の正体を明かしてもいい頃だと思うんだ」 「………」 「いつまでも逃げ回っていても、いつかは相対しなくちゃいけない日が来る。 それがいまだったとしても、結果は変わらないと思うんだけど」 ね、黒い瞳を覗き込むと、ためらうように視線が揺れた。 ゆらゆらと揺れる瞳は、黎深の心のようだ。 告げたい。怖い。告げたい。怖い。 まるであちらへこちらへ揺れる秤のよう。 誰かがひとつ錘を付け足せば、きっと心は決まるのに。 しばらく迷いの揺れる瞳を見つめて、百合は静かに口を開いた。 「黎深。一緒に行ってみようか」 「どこにだ?」 行き先のない誘いに、何かを堪えるように引き結んでいた唇が訝しげに開く。 内心の動揺が現れたかすれた声に、そんなの決まってるじゃないと笑顔で答える。 ようやく視線を合わせてくれた夫を見つめながら、百合は明るい声で告げた。 「もちろん。秀麗ちゃんと絳攸のところへ」 ありがちなので被っていたらすいません。 TOP/ ススム |
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