「絳攸、こんな時間にどうしたんだい」
箱に収まった小さな石。
それを見つめて、どれくらいぼんやりしていたのだろう。
ふいに聞こえた声にはっとして振り返ると、夜着をひっかっけた楸瑛が、寝室に繋がる扉の前で不思議そうにこちらを見ていた。
「出ていったきり戻ってこないから気になって見にきたんだけど…それ、なに?」
返事を待たずにすたすたとやってきて、隣から絳攸の手元を覗き込む。
武人である楸瑛は、気配の変化に敏感だ。
ゆえに彼が起きたときもすぐに目を覚ましたのだけれど、なにぶん夜中のこと。不浄か何かだろうと思って再び夢の世界に戻りかけたが、なぜか一向に帰ってくる気配がない。
そこで不審に思い臥台を抜け出してみれば、薄暗い部屋でいつまでもぼーっとしている。
もしかして寝ぼけているのかと思いつつしばらく見守っていたものの、全く動く気配がないので声をかけたわけだが。
「あっ、こ、これは…」
突然現れた楸瑛に隠す間もなく石を見られてしまい、絳攸は常になく動揺した。まるでたったいま夢から覚めたように、へどもど言い訳しながら蓋を閉めようとして、ハタと気づく。
(……別に隠し立てするようなものでもないか)
そう。絳攸にとって世界に一つだけのものだとしても、まつわる経緯を知らないのならば、他人から見たところで、これはただの石にすぎない。
半分閉めかけていた蓋を戻して古びた小箱から石を摘み上げた絳攸は、掌に載せたそれをよく見えるように月明かりに照らした。
「ちょっと思い出したんだ。昔、もらったものなんだが…」
「へえ。その様子だと随分と思いいれのある物のようだね。誰からって聞いてもいいかな?」
「ああ、しゅうえいだ」
「え、私?」
「あ、いや、ちがう。お前じゃない。べつのしゅうえい……って、そういや、同じ名前だな」
きょとんとした返事に今更のようにそのことに気がついて、マジマジと目の前の男を眺める。
(なんでいままで気づかなかったんだ?)
すっかり忘れていたから仕方ないことなのかもしれないが、とんだ偶然に驚きを隠せない。
しゅうえいとはもしかして、よくある名前なのだろうか。
あの頃はまだ文字をよく知らなかったために聞くのを忘れていたが、だとしたら彼の名前にはどんな字を当てるのだろう。
目の前の男と同じ黒髪に黒い瞳、青を好んできていた小さな友人。そういえば彼は、不思議と目の前の男によく似ていた気がする。
(そう…顔かたちは違っても、まとう雰囲気というか、色というか…)
頭の先から爪先まで、ひとつひとつ記憶と照らし合わせるように眺め回す。見れば見るほど記憶の中のしゅうえいと目の前の楸瑛が混じっていくようで、なんだかまだ夢の中にいるような気がする。
どのくらいそうして見つめていただろう。ややあって人差し指で頬をかいた楸瑛が、気まずそうに視線を泳がせた。
「あのね、絳攸。そんなにじっくりと眺められると照れくさいんだけど…」
「照れくさい? なんだ、いまさら。お前にそんなことを言われるとは思わなかったな」
お互いに、全身、隅から隅まで知り尽くした仲である。
ふ、と笑みを零した絳攸に向かって、ちょっと肩を竦めた楸瑛は、逸らしていた視線を戻すと伺うような顔をした。
「そうなんだけど、それとこれは別っていうか…。まあいいか。それで、もしかしてその人は、私に似ているのかな?」
「そうだな…うん、全体的な雰囲気や外見が似ている気がする」
「ふうん……なるほど。それで君にそんな顔をさせているなんて、なんだかちょっと悔しいね」
なおもマジマジと見つめながら面影を重ねているうちに、苦笑するような、困ったような、複雑な表情で楸瑛が眉を下げる。そんな顔ってどんな顔だ。問い返そうとして、しかし絳攸はすぐに口を閉ざした。
(おそらく―――)
いま、自分は思慕と追憶の入り混じった表情をしているに違いない。
それはたぶん、誰かを無心に慕う子供のような顔で。
純粋に、ただただ大好きだった人。
懐かしくも慕わしい彼がくれた石をぎゅっと握りしめれば、ひんやりとした冷たい感触とともに、その声までもが蘇ってくる気がする。
―――でもそれは、あくまで懐かしい友人を想う範囲での話だ。
「昔の話だ。それに言っておくが、お前が考えているような関係じゃないぞ」
「それはわかってるけど。でも同じ名前で似たような姿といわれると、ちょっとね」
おまえこそなんて顔だときゅっと鼻を摘んでやれば、ふてくされた子供のように楸瑛は頬を膨らませる。
その大人気ない顔には隠し切れない嫉妬が滲んでいて、絳攸は小さな笑い声を立てた。
(こんな些細なことで嫉妬するようなヤツだったか?)
普段から色事に関しては余裕たっぷりで、いつだって振り回されるのは絳攸のほうだ。しかしこの様子をみるからに、同じ名前で似たような容姿となると、さすがに百戦錬磨の男でも気になるものらしい。
「わかったから離せ」
面白くない、とばかりにぎゅうぎゅう抱きついてきた男の背中を軽く叩いてなだめ、抱擁から逃れた絳攸は、石を元のとおりに箱にしまうとほんのり笑んだ。
古ぼけた小箱を引き出しに戻しながら、そうだな、と呟く。
「いつか話せる時がきたら、お前にも話してやる」
「その『しゅうえい』について?」
「知りたいだろ?」
揶揄するようにつけくわえれば、楸瑛は別に、といいたそうな顔で押し黙る。しかし。
(ここで否定できないところが楸瑛だな)
目は口ほどにものを言うというが、無言を貫いても、その表情を見れば知りたがっているのは明白だ。
いつもの余裕ぶりはどこへやら、今夜は随分と素直な反応を見せる恋人に笑いがこぼれる。それでも踏み込んで欲しくない一線を間違えないところが、とても好ましい。
「君が話したくなったときに話してくれると嬉しいな」
約束すると頷くと、ようやく少しだけ機嫌が直ったのか。
バツが悪そうに呟いた男の唇に、絳攸は誓いのかわりに軽い口づけを返した。

「ああ、そのうちな」



いつかまた、あの別邸を訪れよう。
森のような木立を抜けて、木陰にひっそりと立つ小さな離れに。
壊れたままの扉を押し開けば、そこには八角形の小さな部屋。中央に方卓と、背もたれのない椅子が四つ。
壁際には小さな戸棚。
そして――― ひと夏の、小さな友人。
彼はきっと、いまもあの場所で、借りぐらしをしているはずだ。
長い黒髪と黒い瞳、鮮やかな青の衣に、美しい剣。
再びやって来た絳攸を、きっと笑顔で迎えてくれるに違いない。

はやくも白々と明け始めた空は、暑い季節の到来を教えてくれる。
早起きの鳥達のさえずる声。
開いた半蔀から吹き込む涼風。

「今年も暑くなるかな…」

そう、あの特別な、きらきらと輝いていた季節のように。
そしてまた―――幾度目かの夏がやってくる。


おわり                        



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