このお話は 楸絳 です




「年に一度しか君に会えないなんて、そんな生活、私にはとても耐えれそうにないよ」
「いきなりなんの話だ」

紅邸の広々とした庭院の一角で、二人は書物の虫干しをしていた。
その日は朝から初夏に相応しい青空が広がっていて、ちょうど七日に一度の休日で邸にいた絳攸は、本格的な夏が来る前に所蔵する書物の手入れをしようと決めた。
家人に手伝わせながら自身も精力的に働き、室の大半を占めていたそれらを日陰に並べ終えたところで、水菓子片手に楸瑛が訪ねてきたのである。

「これだけ数があると虫干しも壮観だね」

離れの露台に腰を落ち着かせ、軒下にずらりと並んだ本を眺めていた楸瑛は、手近の一冊を拾いあげるとぱらぱらとめくる。
若い男女が星の川を境に向かい合っている表紙のそれは、紅邸にひきとられて間もない頃、読みの勉強にと百合さんがくれた御伽噺だ。
簡単な文字でつづられた短い物語を、幼い絳攸は何度も繰り返し読んだ。
全体的にくたくたになっているが、大好きな百合さんに貰ったものだからと大切に保管していたおかげで、虫も喰っていない。
長い指で黄ばんだ紙をめくり、最後まで読んだ楸瑛は、なるほどねと苦笑して本を閉じた。

「この物語の神様は意地悪なことをするね。彼らは恋を知って仕事を放棄してしまったため罰をうけたけれど、本来、恋とはそういうものだろう?お互い相手しか目に入らず、他のことはどうでもよくなる」
「だから、その御伽噺はそれを戒めているんだろう?なすべきことをなさずに遊んでばかりいてはいけないと。お前は意地悪だというが、俺はそうは思わない。当然の処分だ。」
「当然、か。真面目な君らしいね」

予想通りの答が返ってきた―――そう言いたげな顔で表紙に目を戻し、「そうだ―――」何かを思いついたように顔を上げる。
卓にのりだし距離をつめた楸瑛は、絳攸の顔を覗きこみながら小声で訪ねた。

「―――もし君と私が年に一度しか会えなくなったら、君はどうする?」

潜められた声にはかすかに甘やかな響きが篭っている。恋人同士、言葉遊びを交わそうというのだろう。
耳元に顔を寄せ、ささやいてくる楸瑛を横目に見ながら、絳攸はそっけなく答えた。

「別にどうも」
「―――っ!?」

ガーン!と雷が落ちたように楸瑛の顔が固まる。
しかしすぐさま回復した彼は、手振り身振りを交えて詰め寄ってきた。

「どうもじゃなくてっ!ほらもっと寂しいとか、悲しいとか、あるだろう?考えてごらん、年に一度だよ?しかも夜だけなんて、私にはとても耐えられない。君だってそうだろう?」

冷静な顔で冷茶を飲む絳攸とは対象的に、なにやら必死な様子だ。まさにかき口説く勢いで迫った楸瑛の声は、最後は懇願に近かった。

「絳攸。意地悪しないで答えてくれないか」
「………」
「………。………まさかとは思うけど………。本当にどうでもいいとか、思ってない、よね……?」
「………ブッ」

この取り乱しぶりはどうだろう。とても花街で大人気の女たらしとは思えない。
目に見えてしょんぼりしてしまった楸瑛のがっかりぶりに、務めて無言を保っていた絳攸は耐え切れずふきだした。
爆笑している絳攸を、楸瑛は呆気にとられたように見ている。
そのうち計られたことがわかったのだろう。むっと渋面になると、やけくそのように冷茶をあおった。

「絳攸。君、いつのまにか随分と『いい』性格になったね」
「日ごろから黎深様に鍛えられてるからな。……そんな顔するな。冗談に決まってるだろう。俺だって年に一回では、さすがに寂しい」

むっつりと口を引き結び、片手で顎を支えている楸瑛は完全に拗ねてしまっている。やりすぎたかなと思いつつ本心を告げると、楸瑛が軽く息をつめた気配がした。

「………」

前半は笑顔で、後半はだんだん語尾が小さくなってしまったが聞こえたはずだ。
途中からは気恥ずかしくて目を逸らしてしまったので、いま楸瑛がどんな顔をしているか分からない。
庭院に視線を据えて反応を待っているうちに、がたんと椅子が引ける音がして、伸びてきた腕が遠慮なく絳攸を抱きしめた。

「絳攸」

感極まったように名前を呼んで、あとは無言でぎゅうぎゅう抱きしめてくる。
風があるとはいえ、くっついているとさすがに暑い。だが先に意地悪をしたのは絳攸だ。
謝罪も込めて好きなようにさせていると、しばらくして満足したのか、腕の力を緩めた楸瑛が顔を覗き込んできた。
絳攸も顔をあげ、恋人と目を合わせて―――盛大に顔をしかめた。

「楸瑛………なんだその顔は」
「え?なにか変な顔してるかな」
「全開すぎて気持ち悪いぐらい、いい笑顔だ」

彼とは長い付き合いだが、こんな笑顔は初めて見た。
まるで内側から輝いているようなのに、どことなく締まりない。
間近の笑顔に押されて引きぎみになっている絳攸の腰を、逃すかとばかりに鍛えられた腕が抱き寄せる。

「それはもう、君が嬉しいことをいってくれるから。――――というわけで、私達も御伽噺の恋人達に倣おうと思う」
「え?」
「一年に一度の逢瀬なんだろう?だったらすることは一つだ」

ふざけたことをいいながら笑顔で唇を寄せてくる。ぼかした内容を瞬時に察した絳攸は、さっと顔を青ざめさせた。

「ばっ…ばかかお前は!頭の中はそれでいっぱいか!?いいから手を離せ!」
「いいや離さない。今日は恋人の日なんだし、むしろ自然な流れなといえるんじゃないかな」
「言えるかこの常春男がっ!」

こいつはやっぱり常春だ。
重々わかっていたはずなのに、つい甘い顔をしてしまった自分に拳骨を食らわしたい気分に見舞われる。
振り払おうと暴れてみても、悲しいかな、文官の細腕では武官の腕力には適わない。
そうこうするうちに腰をかかえて抱き上げられ、なんとか拘束から逃れようと口実を探した絳攸の目に、軒下にずらりと並んだ書物が飛び込んできた。

「っ!そうだっ!いまは虫干し中だ。この後片付けがある。だから仕事の邪魔をするやつは帰れ!」
「片付けって…さっき広げたところじゃないか。風を通すのに数刻は必要だろう?その間はすることがないわけだし、空いた時間は有効に使わなきゃもったいないよ」
「それはそうだが………って、寝室の扉をあけるなーーーーーっっっ!!」

ひねり出した口実なだけに、正論で諭されては返す言葉がない。
虫干しの他にもいろいろ仕事はあるんだと抗議しようと口を開けたものの、言葉になるまえにすかさず口付けられる。
その間も楸瑛の歩みは止まることはなく、濃厚な口付けに溺れるようにして息継ぎをしたときには、すでに寝台に押し倒されていた。

「大丈夫。片付けは私も手伝うし。整理整頓は結構得意なんだよ。だから―――ね?」
「――――っ!」

息切れしている絳攸を見下ろして、桃色な空気満載の笑顔で楸瑛が笑う。
既にその手は妖しい動きを見せていて、腰紐はいつの間にか解かれ床に落ちてしまっている。
衣の袷から進入してきた手に腰をなで上げられ、不覚にもゾクリと身体を振るわせた絳攸を感じとり、恋人の瞳に艶めいた色が浮かぶ。

(〜〜〜〜〜〜〜〜っ!)

薄暗い閨で何度となく見た瞳は、午の明るさの中ではまた違った表情を見せる。
先ほどの強引な口付けとは裏腹に、額にやわらかく落とされる唇は優しい。
喉を撫でる指、腋をなでる掌、再度重ねあわせた唇から楸瑛の熱が移って来るようだ。
時間をかけてたっぷりとあわせた唇が開放されたとき、大きく息をついた絳攸は、目の前の恋人をきっと睨んだ。

「………一回だけだからな」
「うん」

嫌がった手前、流されてしまったようで悔しいけれど、すでに身体は熱を持ち始めている。
意志薄弱な自分に歯噛みしたくなるが、身体は正直なもので、いまからこの熱を抑えるのは苦しいし、できることなら開放してしまいたい。
こんな昼日中から…と羞恥に頬が熱くしつつ、窓から覗く太陽を見上げた絳攸は、ふと御伽噺を思い出した。
あの空の向こうで恋を知った男女は、仕事をなおざりにして神様から罰を受けた。
やるべきことを放り出して流されてしまっている絳攸も、そのうち罰を受けるかもしれない。

「ほんとにほんとに一回だけだからな。この後片づけがあるんだからな」
「わかってる」

御伽噺を信じているわけではない。
けれど軽い罪悪感からつい念を押してしまう。
その間も、楸瑛は頬に瞼にと、軽い口付けを繰り返している。

(ほんとに分かってるんだろうな…)

若干の不安を抱きつつも、嬉しそうな返事に目を閉じて。
軽く息をついた絳攸は、降参の意を示すように広い背中に腕を回した。




去年(だと思う)の七夕の頃の拍手ログです。
なんとか甘くしようと頑張った結果がこれとか。
このあたりから自分の中の双花を見失って現在に至ると。
度し難い…。

(2010/02/11)


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