「咲くまではまだかまだかと待ち遠しいのに、散るとなるとあっという間だな」 ちらりちらりと風に舞うのは春の雪。 梢が揺れる度に薄桃の花弁がこぼたれる。 「はは、それがいいんだよ。盛りを過ぎて儚く散る様こそが、この花の最も美しい時だ。そう思わないか?」 小ぶりの茶杯を片手に訳知り顔に楸瑛がものを言う。 そんなものかと思いながら、頭上を見上げた絳攸は自分の杯を空けた。 「確かに花吹雪は美しいな―――しかしその相伴が茶というのは爺臭いというか…一気に老けた気になる」 「仕方ないだろう。私達はまだ仕事中なんだから」 現在は下っ端武官と無職に等しい冗官とはいえ、勤務中であることは違いない。 その貴重な休憩時間を利用して、二人は宮城の庭院に花見に来ていた。 「私だってこんな慌しい茶会より、君とゆっくりと語らいながら酒盃を片手に花を愛でたいと思うよ。というわけで絳攸、今夜の予定は?」 「紅邸で本家の仕事が山積みだ。無理だな」 「なんだ。冗官になっても忙しいね、君は」 あっさり断られて一寸しょんぼりしたものの、仕方ないねと言いたげに楸瑛は肩を竦める。 「花見をしたいなら、なにもこの花にこだわることもないだろう。もう少しすれば躑躅も咲くし、ほかにも機会はいくらでもある」 「まぁそうなんだけど。でも花見といったらやっぱりね―――あ」 ブツブツ言いながらお代わりを注いでいた男が手を止めた。 見て、と注意を促した楸瑛は、杯の中でゆれる水面を指差し頬をほころばす。 「風流だね、桜が名残を惜しんで来てくれたよ」 視線を追って目をやれば、なるほど、舞い込んだ花弁が一枚、ゆらゆらと杯の中で泳いでいる。 花弁のほのかな色合いが淡い緑の水面に映え、いっそう可憐な風情だ。 「あっ、君のところにも、ほら」 薄い花の船に視線を奪われている間にも、次々に落下してきた花弁が絳攸の杯にも舞い落ちる。 春の雪に例えられる花吹雪だけれど、冬と決定的に異なるのは温もりに触れても解けないところだ。 水面を漂う可憐な様子が愛らしくて、ふ、と唇を綻ばせると、杯を掲げた楸瑛が詠うように乾杯を口にした。 「去り行く春に」 同じように杯を掲げカチンと陶器を触れ合わせて、春と一緒に薫り高い茶を流し込む。 「来年は是非、花の下で宴を開きたいものだね」 「時間があればな」 「作るよ、時間ぐらい。いくらでも」 カーン。 楸瑛が微笑むと同時に鳴った鐘は、休憩時間の終わりを告げる知らせだ。 楽しいときほど早く過ぎるもの。 それを抜きにしてもあっという間に終わってしまった気がするが、勤務中なのだから仕方ない。 「戻ろうか。仕事の時間だ」 「ああ」 名残惜しいのだろう。桜を仰いで、一つ息を吐いた楸瑛が渋々といった様子で立ち上がる。 後に続いて腰をあげ、いま一度ハラハラと花弁を散らす桜を振り返った絳攸は、鞠のように咲く花をじっと見つめた。 (花見か……) 楸瑛は慌しいと嘆いていたが、吏部に在籍していた頃は「春」という季節を感じる暇すらなかった絳攸である。 仕事に追われていくうちにいつのまにか季節は移り変わり、その証拠にここ数年、春の記憶といえば侍郎室で机案に向かっている自分の姿しか浮かんでこない。 思えばゆとりのない日々を送っていたものだ―――過去に対して後悔はないけれど、余裕を持ってはじめて気づくこともある。 「絳攸、遅れるよ」 「すまん。いま行く」 促す声に踵を返して歩き出すと、ざっと風が吹いて花びらが後から追いかけてきた。 華の雪に見送られながら、今年最後の姿を目にとどめてそっと笑う。 (願わくば―――) 美しい季節を感じる時間を。 ゆったりと友と語らう時間を。 来る年もまた、花の下にて――― *** 桜が散る前になにか書きたかったらしいです。 <2010/04/11> |
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