このお話は 楸v絳 です




「ああ。やっぱり。君のところにも届いていたね」

ひょっこりと吏部侍郎室に顔をのぞかせた楸瑛は、机案にどっしりと鎮座ましました物体を見て笑った。
デーンと我が物顔に絳攸の執務机案を占領しているもの―――それは子供 が一抱えできるほどの氷の塊である。外気にさらされた表面は溶けてキラキラと光り、氷塊越しに感じる風はほんのり涼やかだ。

今夏、貴陽は連日の炎天下に見舞われ、朝廷百官の中にも夏バテで倒れる官吏が続出していた。
このままでは朝廷自体が機能しなくなる。
官吏たちの切羽詰った訴えに頭を痛めた劉輝は、せめて一時の涼をと王家の氷室を開放した。冬の間に貯蔵しておいた氷塊を気前よく提供した結果、各上官の執務室はもちろん、下官の詰め所にまで届いたそれは、暑気に頭の中まで茹でられかけていた官吏達に熱烈に歓迎された。
掌をひらひらさせて顔に風を送っていた楸瑛は、透明な塊を覗き込んで瞳を和ませる。

「私のところにも先ほど侍官が運んできてね。この暑さでは目の涼すらも値千金に思えてくるよ。主上も気の利いたことをしてくれるね」
「涼やかなのは結構だが、それにしてもデカすぎだ。バカでかい上に重たくて机案から動かせやしない。おかげで俺はいい迷惑だ」

お届けものデースと侍官が二人係で運んできた氷塊は、自身も認める非力の絳攸には到底動かすことができず、以来机案は占領されっぱなしになっている。
本来の主であるはずの絳攸は、しかたなく小ぶりの茶卓に書翰を持ち込み、狭い場所で不自由をしながら執務をこなしていた。
紙面から目を上げることなく仏頂面で筆を走らせていると、振り返った楸瑛が苦笑した気配がした。

「相変わらずだね君は。せっかくの主上のお志なんだし、少し手をとめて休憩がてら涼んでみたらどうだい?この暑さだ。この氷もほどなく溶けてしまうだろうし」
「黙っていても案件が片付くのならそうしている」
「またそういうことを言う」

頭上で仕方がないなぁというような吐息が聞こえる。
あからさまなそれを無視して書類に押捺していると、ふいにひんやりとした何かが頬を包み込んだ。

「うわっ!?な、なんだっ!?」
「ははは。驚いた?」

ぎょっとして振り返れば、いつのまに背後に立ったのか。
顔の辺りで両手をあげて、悪戯が成功した子供のような顔で楸瑛が笑っている。

「楸瑛!なんだいまのは。お前何をしたんだ?」
「知りたい?じゃ、ちょっと待ってて」

くるりと背中を向け、氷塊の前でなにやらごそごそし―――かと思うと、おまたせとニコニコ笑いながら戻ってきた楸瑛は、茶卓越しに絳攸の頬を両手で包み込んだ。

「こうしたんだよ」
「…っ!」
「絳攸、暑そうな顔してたから。冷やしてあげようと思って。気持ちいいだろ?」

前かがみになって覗き込み、にっこりと笑う。
氷に向かって何かしていると思ったら、両手を冷やしていたらしい。
武人らしい皮膚の厚い掌に両頬をやさしく包み込まれて、居心地悪く身をすくませた絳攸はウロウロと目線をさまよわせた。

「べべべつに暑くなんかない!」
「そう?でも顔が赤いし額のところ、汗が滲んでるよ」
「そりゃ夏だからなっ!汗ぐらいかくだろう!」
「なんだ。やっぱり暑いんじゃないか」

頬を両手で挟んだまま、指でこめかみの汗をぬぐってやる。
手をどけるついでに首筋に張り付いていた髪を払うと、絳攸は大げさなほどのけぞって距離を置いた。

「…なにもそんなに離れることないと思うんだけど」

絳攸のつれない仕草はいつものことだが、さすがに傷つくときもある。
肩をおとした楸瑛を見上げ、妙に早い動悸と呼吸を整えた絳攸は、くわっとばかりに噛みついた。

「お前が突拍子もないことするからだろうがっ!だ、だいたい男に頬をはさまれて気持ちいいもクソもあるかっ!気色悪いことをするな!!」
「酷いなぁ。私の純然な好意をそんな風にいうなんて。悲しくって泣けてしまうよ」

よよよと目元を片袖で覆う仕草がいかにも嘘くさい。
反駁しようと口を開いたところで、袂から覗いた目と視線が交わった。

「…でも実際のところ気持ちよかっただろ?」
「それは…っ」

確かに温度の下がった手はここちよかった。
軽く氷に触れていただけではあれほど冷えない。
それなりの時間をかけて冷気に耐え、かつ愛しむように触れてきた掌を思い出し、絳攸は言葉に詰まる。

(涼を感じたのは確かだが―――)

素直に認めるのはなにやら負けた気がしてならない。
どう答えたものかと言葉を捜していると、袖を下ろした楸瑛が氷塊を振り返って瞳を細めた。

「君は邪魔だというけど、氷にはこんな愉しみ方もあるってことを教えてあげようと思ったんだよ。この氷だって主上が少しでも官吏の負担を軽くしようと思ってのことなんだし。なかなかいい気分転換の方法だと思わないか」
「……。……まぁな。意外性はある」
「認めてもらえて嬉しいよ。そういえばこの暑さで吏部でも官吏が倒れているらしいね。最近、君の顔を見ないと主上が心配していたけど、この状況じゃ仕方がないねぇ」

ぐるりと室を見回して、軽く肩をすくめる。
床には積み上げられた巻物が山となっているし、氷塊を乗せた机案も茶卓も空白の場所がないほどに料紙の塔で埋まっている。
一見して吏部の現状がわかる室内に、楸瑛は気の毒そうに眉を下げた。

「それで覗きに来たのか。見てのとおりだ。まだしばらくはここを離れられそうにない。俺がいない間は、お前があのバカ王の手綱をしっかり握っておけよ」

王の警護が仕事の男が何かと思ったが、どうやら様子を見てこいといわれたらしい。
納得して筆をとると、握った手をそっと押さえられた。

「それはもちろん。まかせておいてくれ。―――けどね絳攸。忙しいのはわかるけど、もう少し休んだほうがいい。目の下の隈、ひどいよ?」

片手で自分の目の下を指さして、顔をしかめる。

「ただでさえ君は無理をしがちなんだから。あまり根をつめるのはよくないな」
「………そうだな」

自分でもよくわかっていると、絳攸は嘆息した。
暑気に当てられて官吏が倒れ、人手不足なことに加えて上司が仕事をしてくれない。吏部尚書が仕事をしないのはいつものことだけれど、戦力不足の現状ではさすがにきつい。
叱咤し宥めすかし時には泣き落としたりご機嫌をとったりしながら、なんとかかんとかやってはいるが、そろそろ絳攸自身が限界に近かった。
疲れたため息を吐き出した絳攸の肩を、楸瑛が労わるようにやさしく叩く。

「だからここは主上のお心だと思って、氷が溶けるまでは仮眠を取るなりしたほうがいい。なんなら私の掌を貸してもいいけど?」
「それはいらん」
「私と君の仲で遠慮はいらないよ。いつでも言ってくれ。喜んで提供するから。それから主上には君が氷を喜んでいたと伝えておくけど、いいね?」

問いかけというよりは確認といった視線でじっと見つめられ、しばし楸瑛と見詰め合っていた絳攸は、ゆっくりと肩の力を抜くと柔らかく微笑んだ。

「…ああ。礼をいっておいてくれ」

でかいし重いし場所は取るしで、最初はなんて邪魔な物体をよこしてきたんだと思ったが、仕事の手を休めて眺めてみれば、なかなか思いやりのある御下賜品だったと思う。
まとわりつく熱気を退けることはできないまでも、精神的な作用を十分もたらしてくれた氷塊は、すでに運び込まれたときの半分ほどになってしまっている。

「わかった。君が主上の執務室に戻ってくるのを私も待っているから」

絳攸の返事に満足したのだろう。
豊かな睫に囲まれた漆黒の瞳を優しく細め、踵を返した楸瑛は、扉の前まで至ったところでふと振り返った。

「それから―――」
「なんだ?」
「君は私が主上に言われてここに来たと思っているようだが、それは間違いだと伝えておこう」
「は?どういう意味だ?」

主上に言われた以外にどんな理由があるというのか。
怪訝そうに眉をひそめた絳攸を、意味深な笑みを浮かべた楸瑛は観察するようにじっと見つめる。その視線に何かを計られているようで、絳攸がむっと顔をしかめると、ふと表情を緩めた楸瑛は、艶のある流し目とともに少し意地の悪い声で答えた。

「――さあ?それを私に言わせるのは卑怯だね。自分で考えてみてくれ」







雑然とした侍郎室に一人残された絳攸は、藍色の衣が消えた扉をしばらくの間見つめていた。

(なんなんだ。一体…)

思わせぶりなことを言って去っていった腐れ縁が、最後に残していった言葉が脳内を回っている。その意味を考えながら机案に向かった絳攸は、氷を見つめてぎゅうっと眉をよせた。

(…ぜんぜんわからん!)

溜まった執務に追いまくられ、弛緩した脳ではなかなか思考がまとまらない。
しばらく考える努力はしてみたが、結局答えを導き出すができず。早々に追求を放棄し、ずいぶんと嵩を減らした氷塊に両手で触れた。

「冷たい…」

掌の中でじわりじわりと氷溶けていく感触がする。
皮膚がぎゅうっと収縮したような錯覚が鈍い痺れに変わったところで、手布で水気をぬぐっい両掌で頬を包む。
のぼせた肌に冷気が心地いい。
けれど―――

(…楸瑛のものとはやはり感触が違うか…)

楸瑛の掌は、武官らしく広く大きく皮膚が厚かった。
肉厚のそれで頬全体を包み込まれる心地よさは、文官らしく皮が薄くやわらかい絳攸の掌にはないものだ。 同じ男であるのに全く違う自分の手をじっと見下ろして、そういえばと首をひねった。
あの男に触れられた際に妙な動悸を感じたが、あれはなんだったのだろう。

(…疲れていたからか?)

不整脈でも起こしたのだろうか。
黎深に相対するときは、たまに乱れているのが自分でもわかるが、いってみればそれだけの心労と衝撃を受けているというわけで。
いくら疲れても、いままで黎深に関係すること意外で脈の乱れを感じたことはない。
もし仕事が原因なのだとしたら相当体にきている。
一時も早く横になったほうがいい。

(ここで俺まで倒れてはとんでもないことになるからな!)

ただでさえ現在の吏部は人手不足なのだ。
加えて絳攸が倒れでもしたら誰が決済と舵取りをするのだ。
もちろん黎深という選択肢は端から除外である。
―――もしここに楸瑛がいて、絳攸の思考回路を読める能力を持っていたとしたら、全くの見当違いだとツッコミを入れたところだろう。
しかしそちらの方面にはとことん疎い朝廷随一の才人は、そうと決めるやさっさと長椅子へ横になった。 体を横たえた途端に襲ってきた眠気に、やはりひどく疲れているのだと改めて自覚する。
トロトロと早くも眠りの淵を彷徨いながら、視界の隅に写った氷塊を認めた絳攸は、子供のような顔で笑っていた男を思い出し、ふと笑った。

(楸瑛―――)

あんなふうに触れられたことは初めてだったが、言葉にしたほどの嫌悪感はない。
むしろあまりに自然にふるまわれて、すんなりと受け入れてしまったほどだ。
いつでも提供しようとの申し出を、きっぱり断ってはみたけれど。
あの掌の心地よさには、少々捨てがたいものがある。

(またその手で冷やしてくれるなら―――)

もう一度ぐらい、あいつの掌に包まれてやってもいいかもしれない―――

熱気に溶かされた氷が、バランスを崩してコテンと転がる。
暑気の篭った吏部侍郎室に、やがて絳攸の立てる静かな寝息がひそりと流れはじめた。




冷やした手で頬を包む―――
というシチュを書きたかっただけなんですが、アレ?
最終的によくわからないことになりました。
楸瑛×絳攸とはいえない楸瑛v(ハート)絳攸です。
親友以上恋人未満とか…
そんな甘酸っぱい関係とか…(笑)

涼しい話なのに紅いカラーは暑苦しいですね。
でも色指定を変えるのがめんどk(終了)

(2008/8/20)


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