「木々が美しく色づく季節になったね。さあ絳攸、紅葉狩りに行こう」
「無理だな。秋の人事でそれどころじゃない」


「主上！　お話があります！」
突然バーン！と扉が叩き開けられて、ぼんやりと秋の空を眺めていた劉輝は椅子から飛び上がりそうなほど驚いた。
「ななななななんだっ！余は真面目に仕事をしているぞっ」
「バレバレの嘘をつかないでください。一瞬でしたけど、サボっているのをしっかり見ましたよ」
「す、すいませんっ！　―――って、なんだ、楸瑛ではないか。てっきり絳攸かと思ったのに」
扉を蹴破りそうな勢いで入室してきたのは側近の一人、藍楸瑛だ。彼は飽きもせず小言責めを繰り出す絳攸から、いつだって劉輝を助けてくれる頼りになる将軍である。
やってきた人物が誰かわかってほっと胸をなでおろしていると、いつになく優雅さを欠いた様子でイライラと室内を歩き回っていた楸瑛は苦々しい顔で振り返った。
「そうです。絳攸です」
「は？　なにが」
「だから絳攸ですよ」
「？」
だからといわれても何がなにやらさっぱりわからない。
前後のつながりの全く見えない話に首をかしげる劉輝をもどかしげに見て、楸瑛は深遠な問題に突き当たった哲学者のような顔で腕組みをする。搾り出すようなため息を零し、再び顔を上げた彼は、つかつかと歩み寄ってくると執務机案に手をついてずいっと身を乗り出した。
「ですから、何故、秋にまで人事があるのかということです」
「…………」
なるほど、と劉輝は思った。
（それでやってきたのか…）
絳攸、秋、人事とくれば、楸瑛が何を言いたいのかはおのずと分かる。
折りしも季節は紅葉の頃。今日も空は高々と晴れ渡り、劉輝の執務室から見える宮城の庭院も赤に黄にと色づきとても美しい。夜は夜で月の明るい季節だ。風情のあることで有名な藍家の庭院から眺める景色は、昼でも夜でも素晴らしいことだろう。
（たぶん紅葉狩りにでも誘って仕事を理由に断られたというところか…）
今年の春、花見の宴に絳攸を誘えなかったと楸瑛が管を巻いていたのは記憶に新しい。精悍な面立ちに無念さを滲ませた側近をまじまじと眺め、劉輝は思わず苦笑いを浮かべた。
「あ、その顔。呆れてますね」
「いや、えーっと、そんなことはないぞ。―――そう、恋愛は人を変えるものだなぁと思っていただけなのだ」
劉輝の顔に浮かんだ苦笑を目ざとく見つけ、楸瑛がむっとした顔をする。慌てて笑いを引っ込めた劉輝は、ごまかすように咳払いをした。
初めて会ったころの楸瑛といえば、遊び慣れた青年貴族といった雰囲気で、物腰にも絳攸に対する態度にも余裕が感じられたものだが、いまはどうだろう。少なくとも最初の印象からはだいぶ遠くに来てしまった感があることはいなめない。
彼がどういった経緯で友人に想いを懸けるようになったのか、劉輝は知らない。しかし劉輝自身、秀麗に出会ってから変わったと思うことがたくさんある。人を想うということは、すなわち人を変えるということなのだろうか。
自分を省みながらしみじみと呟くと、楸瑛も頷いた。
「そうですね。自分でもこんなに余裕がなくなるとは思ってもいませんでした」
その声にも表情にも共感が滲みでている。
彼自身、思うところがあるらしい。
さもありなんと劉輝は思った。
「でもそんなことはいいんですよ。問題は秋の人事です」
しかし、しみじみとした空気が流れたのもつかの間。すぐさま苦々しい顔に戻った楸瑛は強引に話題を引き戻す。
正直「めんどくさいなぁ」と思いつつも、劉輝は宥めるように口を開いた。
「まあまあ、気持ちは分かるが、春秋の人事は慣例なのだ。楸瑛だって知っているだろう？」
「ええ、もちろん。ですがこの素晴らしい季節に仕事を理由に断るなんて…」
ぶちぶち文句を零しながらも「でもそこが絳攸らしいところなんですけどね」と惚気かぼやきか分からないことをいいながら、しょんぼりと椅子に腰を下ろす。常になく萎れた様子で座った楸瑛は、どこか寂しそうに庭院を見やった。
（そんなに楽しみにしていたのか…かわいそうに）
春の花見でさんざん惚気と愚痴とぼやきを聞かされて以来、なるべくこの話題には関わらないようにしてきたものの、目の前で落ち込まれると落ち着かない。劉輝のこんなところが兄をして「人がいい」といわれる所以なのだろう。
わかってはいても意気消沈した姿を見ているとつい同情心がくすぐられてしまう。元気のない楸瑛をなんとか励ましてやりたくて、劉輝はふと閃いた案を口にした。
「そうだ！　どこかに出かけようというから無理なのだろう？　それなら余にいい考えがある」



「おい、主上はどうした」
すっかり夜の帳が落ちた頃。
楸瑛の案内で内朝の庭院にやってきた絳攸は、疲れた目をしょぼしょぼさせながら周囲を見回した。
王直々の呼び出しと言われてやってきたのに、着いた場所には劉輝の姿が見当たらない。不思議に思って案内人に訪ねると、何がそんなに嬉しいのか。いぶかしむ絳攸とは対照的ににっこにこ笑顔の楸瑛は小さな灯火の置かれた東屋を指差した。
「本当だね、どこに行かれたのかな―――とりあえず、このまま立ち尽くしているのもなんだから、座ったら？」
促された先、庭院の木々の下にはいくつもの篝火が焚かれ、明々とした光に照らし出される紅葉が幻想的な雰囲気を作り出している。東屋の卓には少量の飲食物と風除けのためだろうか、椅子に薄手の毛布まで置いてあり、庭院と篝火と東屋と、順々に視線を送っていた絳攸は、最後に楸瑛を振りかえると眉を寄せた。
「……おい、これはどういうことだ。主上の草案を見るんじゃなかったのか？」
てっきり仕事のつもりで来たのに、これではまるで紅葉狩りだ。ただでさえ忙しいこの季節、のんびり遊んでいる時間など絳攸にはない。
じとっと睨んでくる絳攸を東屋へと導きながら、楸瑛は生え際を指で軽く搔く。
「うーん、建前はそういうことだったんだけど…」
「どういうことだ」
疲れているせいか、今夜の絳攸はちょっとぴりぴりしているようだ。問い返す間にも眉間にますます皺が寄り、返答によっては拳骨の一発ぐらい飛んできそうな雰囲気を察しながら、怒らないでねと念を押す。
返答次第だと答えた彼に椅子を勧めて、その隣に腰を下ろした楸瑛は、今夜のお誘いのからくりをあっさりとバラした。
「実はね、ちょっと息抜きしてもらおうと思って呼び出したんだ」
「は？」
「だって、私が誘っても断っただろう？　君は仕事となると根を詰めすぎる傾向にあるからね。だから主上に頼んだんだよ。主上からの呼びだしとなれば、よっぽどのことがない限り無視しないはずだから」
「無視しないって……お前な。そんなことのために主上を餌に使ったのか」
主を利用して平然としている楸瑛を、絳攸は呆れた顔で見ている。彼は渋面で非難するけれど、そもそもこれは主上の発案だ。誤解を解くべくそのこともつけ足すと、今度は脱力したように片手で顔を覆った。
「なんだそれは…この忙しい時期にお前たちときたら…」
まったく…と言いたげな言葉は声にならないが、かわりに零された深いため息が彼の心情をありありと伝えている。呆れているのか、困惑しているのか―――少なくとも怒っているわけではないようなので、特に気にすることもなく楸瑛は椅子に掛けてあった毛布を広げた。
「冷えてきたね、寒くないかい、絳攸」
晩秋の夜風はさすがに冷たい。東屋の周りにはたくさんの篝火が焚かれているが、明かりとしては十分でも足元から這い登ってくる冷気までは防いでくれない。
毛布を自分と絳攸の膝にかけていると、ややあって顔を上げた絳攸が苦笑した気配がした。
「ずいぶんと用意がいいな。何が息抜きだ。嘘つきめ」
「いやだな、私は君に嘘をついたことなんてないよ」
「ほら、それも嘘だ。俺のためというが、本当のところはお前がやりたかっただけだろう」
「ばれたか」
おどけて肩を竦めてみせれば、今度は紛れもない笑みが返ってくる。その笑顔が可愛らしくて、思わず伸びそうになる手を楸瑛は慌てて引き戻した。
「お前の考えていることなどお見通しだ」
「さすがだね。通じ合っていると喜んでいいのかな」
「馬鹿」
休憩して欲しいと思ったことは本当だが、なによりも楸瑛自身が二人の時間を欲していたことは否定できない。　
的確な指摘に苦笑するしかない楸瑛をながめ、ほらみろというように笑った絳攸は、脱力して壁にもたれるとまあいいかと呟いた。
「そんなに紅葉狩りがしたいなら休憩がてら少しだけ付き合ってやる。そのかわり酒はナシだぞ」
「それはどうもありがとう。もちろん勤務中だからね。用意したのはお茶だよ」
本当はちょっぴり―――いや、かなり下心もあるのだけれど、そんなことまで話す必要はない。手早く茶を淹れて手渡すと、熱々のそれを飲んだ絳攸は傍目に分かるほど寛いだ顔をした。
「ああ、……美味いな」
「お菓子もあるよ」
「うん」
やっぱり疲れているらしく、珍しく素直な返事をして薦められるままに甘味をひとつふたつと口にし、お代わりをゆっくりと干していく。三杯目でようやく人心地がついたのか、ふと目をあげた彼は、木々を照らすたくさんの篝火と吊灯篭に視線を向けると眩しそうに瞳を細めた。
「そういえばあれは？　あれもお前が用意したのか」
「そうだよ。なかなか美しいだろう？」
ちらちらと燃える火に透かされた紅葉は、いっそう赤味を増して美しい。東屋一体だけとはいえ、この幻想的な雰囲気を作り出すのはなかなか大変だった。
もちろん楸瑛一人の手には余るので、発案者として劉輝までも借り出し飾りつけをした木々は、まるで別世界に迷い込んでしまったような錯覚を抱かせる。
本人としてはまさか手伝いまでやらされるとは思っていなかったのだろう。ぶつぶつ不平を零しながらも劉輝が協力してくれたことを教えると、陶然と紅葉に魅入っていた絳攸の目が一気に不機嫌さを帯びた。
「おい、お前ら。俺がいないからってサボってるんじゃないだろうな」
「いやいや、きちんと仕事はこなしているよ。その辺は大丈夫」
ふうん？　と鼻で返事をする絳攸は半信半疑のようだ。
劉輝のサボり癖とそれを助長するような楸瑛の行動を日常的に見ているだけに、すぐには信じることができないのだろう。
「いやいやホントに。だから怒らないであげてくれ」
普段の行動が行動だけに、絳攸の疑心も当然かと思いつつ、しかしこの件に関して劉輝が怒られるのはしのびない。繰り返し強調すると、疑いは残しつつも一応納得することにしたらしい絳攸は、ひとつ大きなあくびをして目を閉じた。
「おや、眠くなってしまった？」
「……いや……」
大丈夫だと応えるそばからすぐにまたあくびを連発する。しばらく目じりに浮かんだ涙を擦っていた絳攸は、ややって限界を迎えたらしく、すまなそうに楸瑛を見た。
「すまん、少しだけ寝かせてくれ。せっかく誘ってくれて悪いんだが、これ以上、目を開けていられそうにない……」
温かい茶を飲み甘味を口にしたことで、一気に睡魔が押し寄せてきたのか。謝る声も眠気を含んで重たい。この様子ではあっという間に夢の世界に飛び立ってしまいそうだ。
「いいよ。私のことは気にしないでくれ」
早くもうつらうつらしている絳攸に微笑みかけながら、胸の中で仕方ないかとひとつ息をつく。
疲れているところを無理に引っ張り出してきたのは楸瑛だ。彼に睡眠が必要なことは明らかだし、これ以上無理をさせるのは楸瑛としても本意ではない。
少しばかり名残惜しく思いながらも頷くと、すでに夢の世界に旅立ちかけていた絳攸はもごもごと礼を言った。
「少したったら起こすから。安心してお休み」
「……」
寝息にまじった返事ははっきりと聞き取れなかった。膝に投げ出された手から茶器を受け取って、代わりに毛布を肩からきっちと掛けてやる。
こんな状況もあるかもしれないと想定して大き目の毛布を用意しておいて大正解だ。ばっちり予想的中したことに満足していいのか、あっさり寝られてしまったことを悲しむべきなのか、複雑な思いを抱えながら、それでもここぞとばかりに寝顔を覗き込む。
（やはり疲れた顔をしているねぇ……）
侍郎室に迎えにいったときも思ったが、目の下にはくっきりと隈がういて、髪もかなり乱れている。
イライラしたり悩んだりすると髪をかき回す癖がある彼のことだ。きっと一人で仕事をしながらぐしゃぐしゃとやっていたのだろう。何の夢をみているのか、寝ているときまで眉間にうっすら皺がよっているところが絳攸らしい。
乱れた前髪を簡単に整えてやって、これで肩にもたれてくれたらもっといいのにと思っていると、そんな邪な願いを聞き届けてくれる太っ腹な神様がいたらしく。
身動きした拍子に体勢が崩れ、もたれてきた絳攸の身体を受け止めた楸瑛は、ここぞとばかりにその体を抱きしめた。
（あ～、あったかいなぁ……）
起きている時は絶対に抱きしめさせてなどくれない絳攸がいま、腕の中にいる。
ふってわいた僥倖にここぞとばかりに髪や身体の感触を楽しみ、最後に額に唇を落としたが、よほど深く眠っているのか。目覚める気配は一向にない。
できれば一晩中こうしていたいところだが、生憎、吏部侍郎を待つ膨大な仕事も知っている。腕の中のぬくもりを手放すのは心の底から惜しいが、せいぜい引き伸ばしたところで一刻が限度だろう―――苦笑を浮かべた楸瑛は、さて次は何で誘おうかと想像をめぐらせた。
（雪見酒も風流だが、毎回、呑んでばかりというのもなんだしねえ）
なにかいい案はないだろうかと一見涼しげな顔で紅葉を眺めながら、下心全開の計画に胸を膨らませつつ腕の中のぬくもりに頬を寄せる。
紅葉が終われば、彩雲国に本格的な冬がやってくる。
暖かな南方生まれの楸瑛は正直なところ、寒さばかりが続く冬はあまり好きではない。
しかしそれも彼が側にてくれれば好きな季節にかわるかもしれないし、なにより―――
（冬は人肌が恋しい季節だし）
そして意図的な接触が最もしやすい季節でもある。
（そういう意味では、冬も結構好きだな）
というか彼の反応次第では、大好きな季節になるかもしれない。
寒い時期、二人で過ごすあれやそれやを夢想しつつ隣に目をやれば、想い人は楸瑛の胸のうちなど知らずにスヤスヤと眠っている。その寝顔を眺めながら思う存分にやにやできるのも、すべては劉輝が協力してくれたおかげた。
（主上には感謝しないといけないね）
絳攸にはああいったものの、実のところ、昼間のツケが回ってきた彼は、いまも執務室で書類とにらめっこしているはずだ。その泣きべそが瞼の裏に浮かぶようで、楸瑛は押し殺した笑いをもらした。
（お礼にあとで美味しいお茶を淹れてさしあげようか）
人のいい王様が好きな甘いお菓子も用意して。夜食にぴったりの点心も持っていったら喜ぶかもしれない。戻ってくるだろう子供のような反応が簡単に思い浮かび、声を殺して忍び笑う。
（でも―――）
それももう少し後のことだ。
いまはまだここで、想い人のぬくもりと重みを感じながら別世界に遊んでいたい。
鼻先をくすぐる髪を優しく梳いてふと目を上げれば、真っ赤な葉の合間にぽつぽつと灯った灯篭が柔らかく瞳を射た。瞳を細めたところで身じろぎした絳攸が何か寝言を言う。
「なに？」
「……、……、……」
優しく問いかけて、頬を寄せるようにして耳を傾ける。
しかしすぐに寝息にまぎれた彼の声は、やっぱり楸瑛の耳には届かなかった。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　



2011年1/9のインテでの無料配布SSで
「春に花の下にて（2010/5月発行）」の続編です。
春、夏ときて、こちらは秋編になります。
冬編はまたそのうちにできたらいいなぁと。

ところで今回から文字を大きくしてみたんですがどうでしょう。
「目が疲れてると小さい字を読むのって辛いよね～」という
言ってみればほぼ100％自分のためなんですが
これで少しは読みやすくなったかな？？？


（2010/01/10）



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