約束どおり早い時間に帰宅した楸瑛は、意外な土産を持ってきた。
「見て、絳攸。すごいだろう」
玄関まで出迎えた絳攸に向かって、嬉しそうに手提げのビニール袋を掲げ見せる。
ちょうど安売りしてたんだと渡された袋の中には、殻付きの枝豆がパンパンに詰まっていた。
「安売りって……それにしてもまた、すごい量だな」
「ははは。本当はもうちょっと少なかったんだけどね。奥さんがオマケしてくれて。ほら、駅前の商店街の八百屋だよ。この不景気に気前がいいよね」
気前がいい。確かにそうだ。
しかしそれだけでないことは、この「どうだ」といわんばかりの顔を見ればよく分かる。
この部屋に引っ越した初日、必要品を買いに出た先々で歯の浮くようなお世辞を垂れ流した男は、一日ですっかり商店街のおばちゃんたちの人気者になってしまった。
目立つ容姿に極上の笑顔。そのうえ人当たりがよく褒め上手。
おかげでいまでは楸瑛が歩けばあちこちからお声がかかる。
(今日はどんな褒め言葉を振りまいてきたんだか…)
ずっしりと重い中身から推察するに、よほど心を掴むようなことを言ってきたに違いない。
(調子のいいヤツめ)
外向きの笑顔全開の楸瑛と、ころころ太った八百屋のおばちゃんの上機嫌な様子が目の裏に浮かぶようでちょっぴり苦々しい気持ちがこみ上げる。
しかしこの量は家計的には大変ありがたい。
ここはおばちゃんの好意を素直にいただいておくべきだろう。
「とりあえず風呂に入って来い。飯の用意はしてやるから」
「ありがとう。今日も暑いね」
ネクタイを外しながら、楸瑛が辟易したようにため息をつく。
風呂場に向かうその後姿を見送って、キッチンに戻った絳攸は、さっそく鍋にいっぱいの湯を沸かすことにした。


「へえ、茹でてみるとまたすごいね」
濡れた髪を拭き拭きやってきた楸瑛が、ザルいっぱいに茹で上げられた枝豆に目を丸くする。
ちょうどいいところにやってきた。手伝ってくれと声をかけると、快く承知した彼は、指し示されるままにテーブルについた。
「それで? 私はなにをすればいいのかな」
「殻をむいて中身をボールに出してくれ。ザル全部だ」
一回の消費量が多い男所帯とはいえ、さすがに一晩で食べきるには量が多すぎる。
豆だけを小分けにして冷凍するれば長持ちするし、汎用性もある。
簡単な説明にわかったと頷いた楸瑛は、早速ぴょこぴょこと豆を取り出し始めた。
「あ、なんか、これ、楽しいね」
「よそ見していて飛ばすなよ」
きゅっと押せばツルっと中身が出てくる。
たいした力も要らないわりに、ちょっとした爽快感が癖になるが、力加減によっては豆があらぬ方向に飛んでいく場合があるので要注意だ。
楸瑛がふんふーんと鼻歌を歌いながら作業をしている隣で、新しく湯を沸かして塩を一つまみ。
沸騰したところで別に分けておいた分を茹であげ、ザルにあける。
ほかほか湯気のたつ枝豆は緑色も鮮やかで、見るからにとっても美味しそうだ。
「絳攸、剥いた分は冷凍庫にしまったよ。これも同じようにすればいいのかな?」
「いや、これは別」
「ふうん?」
後ろから覗き込んでいるらしい視線を感じながら、荒塩を軽く振る。
そのままザルごとテーブルへ。ついでに冷蔵庫から冷えたビールを二本取り出して向かい合う形に並べてやると、意図を察した楸瑛は嬉しそうに席についた。
「ああ、いいねぇ。夏って感じがするよ」
「そうだな。よし、呑むか」
「もちろん。―――でも珍しいね、君が自分からビールを出してくるなんて」
あまり強くない、そしてそんなに好きでもない酒を、絳攸はあまり呑みたがらない。
たまの休みに楸瑛に付き合う程度で、それでも少量、過ごすことなど稀だ。
私は嬉しいけどねと、早くもプルトップを空けている楸瑛の缶に自分の缶をぶつけて、一口煽った絳攸は、唇についた泡を親指でぬぐった。
「せっかく最高のつまみがあるからな」
きりっと冷えた炭酸は心地よく喉を刺激し、口内に残る苦味が消えないうちに、すかさず茹でたての枝豆を放り込めば、青臭い香りのあとに広がるのはほのかな甘み。
いまが旬のこれ以上ない組み合わせを前にして、呑まずにおくなどできようか。
「なるほど。それは道理だ」
違うかと目で問いかけると、くつろいだ表情の楸瑛も納得したように枝豆をつまむ。
風呂上りの一杯、なんていうとちょっと親父くさいが、山盛りのつまみを前に、本日の戦利品の獲得者はひどくご満悦だ。
ご機嫌な楸瑛とたわいない話をしながら緑の山を半分ほと消費したところで、頬杖を付いた絳攸は残り少なくなった缶をチャプチャプと振った。
「はぁ…明日からまた仕事か…」
久々の有給は、半日以上を睡眠に、残る半日を家事とデータ整理に費やしているうちにあっという間に終わってしまった。
仕事は嫌いじゃないが、こうも慌しい日々が続くとさすがに休みが恋しくなる。
それも一日だけでなく連続して何日か。骨休みという言葉がぴったりなぐらいの長さで。
無意識にこぼれたボヤキを拾った楸瑛が、絳攸の手から缶を取り上げて、代わりにその手を握り軽く口付ける。
「そうだね、最近一緒に出かけていないし。今年の夏はどこか旅行にでも行こうか」
「どこかってどこに」
「それはもちろん、二人きりになれるところに」
ね、と誘いかける笑顔には下心が満載だ。
まったくこいつは、と思いはすれど、二人で旅行というキーワードにはちょっと心惹かれる。
(旅行か…)
それもいいかもしれない。日常を離れてストレスから開放されることもたまには必要だ。
にこにこ笑顔をしばらく眺めて、今後のスケジュールを頭の中で素早く調整した絳攸は、よしと一つ頷いた。
「わかった。なんとか時間をとれるように努力する。―――だから楸瑛、お前は穴場を探しておいてくれ」
「え、本当に? ふうん、これは嬉しいな」
「なんだ、冗談だったのか?」
「まさか。君と一緒にいたい気持ちはいつだって本当だよ」
ありがとう、と嬉しそうに頬を緩ませた楸瑛が、またもや手にキスをする。
こういうときは唇なんじゃないかと思いつつも、自分から言い出すのも照れくさいので好きにさせていると、手の甲に触れていた唇は徐々に掌へと移動し、手首へ、そして肘の内側へ上っていく。
こそばゆい感覚と、唇が離れるたびにする湿った音、そしてそれらの刺激から呼び起こされる熱を自覚し始めたとき、ふと目をあげた男と空中で視線が絡まった。
「…!」
絳攸の変化などお見通しだといわんばかりに、こちらを見つめる黒い瞳が笑っている。
目は口ほどに物を言うとはよくいったものだ。
ダメ押しとばかりに艶めいた視線に誘われて、思わず頬に血を上らせた絳攸は、胸のなかだけで悪態をついた。
(この常春頭め!)
こいつの頭の中には、いつだってそのことしかないのだろうか。
休みの度に誘われるのはいまに始まったことではないけれど、この後に続く快楽を知っているだけに、その誘惑はいっそう強く絳攸を誘引する。
素直に応じるには流されたようで悔しいが、しかしここで引き返すには少々気持ちが入りすぎてしまった。
だからいかにも仕方ないなというように一つ息をついて。
「明日も仕事なんだからな。早めに切り上げろよ」
合意の証拠に自分から形のいい唇に食いつくと、あわせた唇越しに楸瑛が笑った気配がした。



このころからただの同居編になってきました。

(2011/01/18 収納)



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